Via Francigena(73)St-Maurice(サン・モーリス)修道院

右側の赤矢印がサン・モーリス修道院。左側の矢印は、崖の上に建つ教会堂

城から駅方向に向かうと、

切り立った岩崖の横の歩道。落石対策のネット。

2013年

右手にAbbaye de St-Maurice(サン・モーリス修道院)が見えてきます。この少し手前に公衆トイレあります。St-Mauriceには駅にもトイレあるし、飲食店多数。パン屋、COOPとMIGROSあり。

515年に創建してから1500年以上、途切れることなくChanoineと呼ばれる坊さん達が活動を続けてきた、アルプス以北のヨーロッパでも数少ない修道院だそうです。ヨーロッパの多くの国の教会で露呈した教職者による性加害問題ですが、実は2023年秋より、この修道院と修道院付属の高校(名門校)でも告発が相次ぎ大問題になっています。その際にクローズアップされたのはこの修道院の凄さ。修道院はローマ法王直接の管轄で他の教会のように、地域の司教の監督を受けることはありません。1500年間、ローマに詣でる王や諸侯が立ち寄る地で、彼らから寄進された財宝でザクザク潤っていました(宝石がどっちゃり付いたお宝の一部は見学で見られます)。

見学を受け付けてる建物の壁にはVia Francigenaの行程表。真ん中あたりに赤字でSt-Mauriceの記載。Via Francigenaはフランス・スイス・イタリアの三国を通ってローマへ通じる道。

St-Mauriceの他の施設同様、修道院の見学は1~3月の間は休み。4月以降の見学はオーディオガイドに従って、個人で回れます。以前は決められた曜日の決められた時刻にガイド先導での見学だったので、参加しやすくなったし、自分のペースで見られるようになったのでは。

Basilique(教会堂)から始まり、カタコンベ(納骨所)、中庭、ガラスケースに収められた宝物も見られます。私たちが目にしているのは17世紀に造られ、20世紀中に拡張された建物です。修道院の建設は515年ですが、元々は今ある建物よりもずっと崖に近いところに2世紀末からいくつかの教会建物がありました。見学では基盤だけが残った発掘現場の横も通ります。私が10年前に見学した際、崖の上から岩が落ちてくるのでネットが張られた下、掘れば何かが出てくるけど発掘調査はものすごく時間がかかるとの説明がありました。

さてSt-Maurice(聖モーリス)は西暦300年頃、エジプトのナイル川流域のThebes(テーベ)出身。ステンドグラスには、ナイル川を船で下って出兵するモーリス一行

モーリス率いる6000人とも数えられる兵士はローマ帝国の兵として、テーベからアルプスを越えて

この地、Agaune(アゴーヌ)に派遣されました。

ローマ皇帝からMartigny(この先南へ少し行った所にある)のキリスト教徒を殺すよう命じられますが(ローマ帝国は当時キリスト教を認めていなかった)、モーリスらはキリスト教(コプト)に帰依しており、

同じキリスト教徒は殺せないと拒否し、死を選びました。なかなかヘビーな絵です。

モーリスは殉教者(Martyrs)となり、Mauriceは歩兵の守護神となりました。ステンドグラスは20世紀のものですが、褐色の肌の兵士の姿が描かれています。

そして中央の祭壇に掲げられた絵、これもマリア像とかではなくモーリス将軍とその兵士なんでしょうね。西暦3世紀当時、この地域はAgaune(アゴーヌ)という名でしたので、Maurice d’Agauneとも呼ばれます。

Abbaye St-Maurice修道院のサイト:

https://www.abbaye-stmaurice.ch/fr

St-Mauriceの公式観光サイト内の修道院の紹介。St-Mauriceの観光サイトはなかなかに面白く、ハイキング情報も載っている:

https://www.saint-maurice.ch/tourism/abbey-87.html

こちらはこの先のMartignyの観光サイト内の修道院の説明ですが、ここに載ってる修道院の財宝の写真がすごい。宝石どっちゃり。清貧とは程遠い、権力の塊ですな。

https://www.martigny.com/en/activity/saint-maurice-abbey-3721/?gt-reset

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