Morrens、Etagnières、Assens:Gros-de-Vaudの3つの町

Lausanneを歩く、またはVia Francigena番外編、寄り道紹介、今回は一か所だけ。Lausanne近辺のハイキング指定道は本当にあちこち隅々まで歩いたのでこれを語りだしたら数年は過ぎそうですが、DavelとBernoisのVaud支配に関連して一か所だけ。Lausanneから8㎞北にあるMorrens、Etagnieres、Assensをつないで歩きました。

ここはGros-de-Vaud、平坦で畑作、農作地帯でしたが、近年はLausanne圏内への通勤住民で住宅開発が著しい地域。それでも町と町の間は畑作地帯を歩けます。指定ハイキング道(黄色のハイキングの標識がついている)はオレンジ色の細線。

Morrensの見晴台

まずはMorrensから。ここだけは鉄道駅が無く、バスでのアクセスとなります。もっとも最寄りの鉄道駅Cheseau-sur-Lausanneからでも直線距離で1.6㎞。Cheseau-sur-Lausanneからもハイキング道で来れます。

バスは町の端っこに停まり、近くの巨木がある場所が少し高くなっていて、見晴らし台のように周囲の畑作地帯がが眺められます。ちなみにMorrensの標高は700m超。

町の中心へと歩くと、

La Cureと教会が隣り合わせにあります。

Major Davelが生まれた場所

1670年10月20日、Abraham Davelは牧師の家、La Cureで生まれ、隣の教会で父によって洗礼を受けました

1670年10月20日

Davelについてしつこく書いてしまってますが、訪れた2020年1月には全然知らないで、ここはまだ歩いていないなあ、くらいの感覚で訪れてました。詳しく知ったのは今年に入ってから。

隣の教会。

Chateau de Morrensは1535年の建立で現在は町役場。

Morrensから歩いて30分ほどでEtagnièresに着きます。

Etagniersの教会

見た目ごくごく普通の教会ですが、

一つ変わっている所があるとすれば1833年に鋳造された鉄製の柵。教会に入って最奥の祭壇や装飾物などがある部分とその手前とを分けています。1536年にベルン勢力がVaud州を制圧し、教会をプロテスタントに改宗するよう強いましたが、Etagnièresの教会は、それ以前からVaudの東にあるフリブールのカトリック勢力下の影響にあり、住民の3分の1のみがプロテスタントに賛同、3分の2はカトリックに残りました。Etagnièresの教会は珍しく2つの宗派が共用する教会で、鉄製の柵により祭壇の秘宝がプロテスタント派の目に触れないように守られました。Etagnièresは現在でも教会は一か所ですね(カトリックとプロテスタントの2つあることが多い)。

EtagnièresからAssensへ向かいます。所要時間35分。Assens、Etagnieresには鉄道LEBの駅があります。

Assensの教会

ここもEtagnieresと同様、プロテスタントへの改宗への抵抗感が強かった地域で、1619~1845年にかけて、一つの教会をプロテスタントとカトリックの両方が使っていました。更に、ここには両派のために二つの説教を行う講壇が両側にあります!螺旋階段のようなのがついてる木製の高いところから演説ができる台です。宗教行事はそれぞれ時間を別に行っていたはずですが、教壇が2つ残っているのは現在はAssensとVillars-le-Terroirだけだそうです。

やはり最奥のクワイヤと呼ばれる部分が鉄柵で仕切られています。鉄柵の向こうはどうなってるかというと、こんな感じ。なるほどプロテスタント教会にはあり得ないマリア像やゴテゴテ装飾。

この教会の壁にはプレスコ画があります。

1730年、思想家&音楽家ルソー(Jean-Jacques Rousseau)はLausanneに来て音楽を教授。その折にはLausanneのカトリック教徒と共にAssensまで来てカトリックのミサに参加しています。

当時のLausanneにはただの一軒もカトリック教会は無かったので。16世紀初めの宗教改革、16世紀中頃からベルンの支配によりLausanneの教会はプロテスタントに改宗させられ、今から150年前からイタリア移民が急増した結果、20世紀初めになってようやく初めてのカトリック教会が新設されたのでした

Assensには1845年にカトリック専用の教会が出来ました。やはり共用は嫌だったのか。

Assensの人口が1700人、MorrensとEtagnieresがそれぞれ1100人くらいです。以前はこの3つの町を含むGros-de-Vaud一帯は農業が主産業でしたが、1970年代から人口がどんどん増え続け、現在ではほとんどがLausanne圏内へ通勤しています(今は在宅もありか)。写真は農家の建物。

写真と歩行は2020年1月初め

私はキリスト教徒じゃないのでカトリックでもプロテスタントでも関係ないわけですが、スイスの歴史を知るうえで新旧二派の攻防は重要でして、知っているとなるほどなことが多いです。以前の投稿から、

Zwingliの映画から(1)

他州不干渉の原則

スイスのおける宗教

現在のジュネーブの宗教事情

Etagnieresの教会の鉄柵について:

https://www.reformes.ch/200407082532/2532-oecumenisme-en-pays-de-vaudune-petite-eglise-pour-un-grand-symbole.html

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