Jougnena(3)VallorbeからPontarlierまで鉄道があった

太紫の線がスイスとフランスの国境線。

森→開けた所→短い森の後にフランスとの国境線があるはずだけど、これといった印は無く、いつの間にか通り過ぎてしまった。

後から確認したところ、やはり徒歩道の上には境界石はなく、これって元は鉄道線路上だったからかもしれません。鉄道が走ってた時には線路上なので設置せず、廃線後は趣味の徒歩専用道。ハイキング道の西側に2本、国境を越える南北にのびる道があり、ここには境界石があります(赤矢印)。また東側にある幹線道路にはDouaneがあり、その東には道は無いけど草地にしっかり境界石(赤の矢印)。La Banderetteとある右端のハイキング道は帰りに歩きますが、ここにも境界石あります。

右奥下に見えるのはLes Echampeesの集落で、ここは帰りに通ります。森の中からは全然見えなかったけど、ハイキング道とほぼ平行に車道が通っていて、地図で見るとDouaneとあります。世界史を習った人は記憶にあるでしょうか?第二次世界大戦中、ナチスドイツに国土の大部分を占領されていたフランスでは南仏Vichy(ヴィシー)にPétain(ペタン)元帥率いる傀儡政府がありました。1945年5月、ドイツ軍によってドイツに連れ去られて幽閉されていたペタン元帥はドイツからスイスを経てフランスに戻りました。スイスのVallorbeを車列で出発し(鉄道はトンネル爆破で不通のままだったので)、VallorbeとJougneの間にある、この国境線上でフランスに引き渡され、逮捕されて裁判にかけられることになります。そういうことがあった国境がすぐ隣でした。

上の黄色の菱形はスイスのですが、下にある黄色と青の縞はフランスのハイキング道のマーク。赤白だとロングトレイルGR(Grande Route)、黄色と青は地域道。

Sentier de la Jougnenaの解説板。ここには昔、鉄道が通っていたんだよ。

VallorbeからJougneを通ってPontarlierまで鉄道が走っていました。1875年に開通した26㎞。それまではParisーLausanne間はNeuchatel経由。Vallorbe(標高807m)とPontarlier(812m)の間には標高1012mのTouillonがあるため、Jougneの北に1663mと60mの2本のトンネルを通すのですが、この掘削が難工事でした。1915年に6㎞の長さのTunnel du Mont d’Or(トンネル)が西側に開通してからは、パリへの鉄道はFrasne経由に変更。Jougne-Pontarlierを経由する鉄道の重要性は低下。1939年に乗客輸送が、1940年に貨物輸送も停止。しかし決定的だったのは第二次世界大戦中、ドイツ軍を妨げるため、フランスが自ら鉄道トンネルを破壊したことでしょう。それ以降は完全廃線。

道はまだまだ真っすぐ続きます。

お、岩壁ではクライミングが出来ますね。

突然、目の前にスキーリフト(中央の白い建物)。右にはレストラン、でも夏なので閉まってます。リフトはここから標高1000mの所まで上って行きます。そこからは何本ものリフトだかロープウェーがあるスキー場。

フランスのハイキング道のマークその1:通常は二色の横線が二色上下にありますが、例えばこのように道が二手に分かれている場合、違う方の道には同じ二色がX(バツ)印として電柱などに描かれています。

フランスのハイキングマークその2:左へ曲がりなさい

地名と方向表示板、距離と目安の時間付き

歩行と写真は2024年8月中旬

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