St-MauriceからMartigny(マルティニー)まで16.6㎞、4時間15分の行程。概ね平坦です。途中、Evionnaz、Vernayezで鉄道駅の近くを通ります。
St-Maurice駅(標高419m)を出発したのは2021年4月初め。正面の建物はHalle à Marchandises(貨物庫)とありました。現役かどうかは不明。
St-MauriceへBouveretからTonkin線が開通したのが1859年。一方の現在はBrigまで続く主線であるSimplon線はVilleneuveーBex間が1857年、BexーSt-Maurice間がTonkin線と同じ1859年に開通しました。ちなみにVilleneuveーLausanne間は1861年。そしてLausanneからSionへ行くにはSt-Mauriceで乗り換える必要がありました。
St-Maurice駅では貨物列車の荷の積み替えが行われていました。Montheyでの工業製品、St-Mauriceのセメント、Bexの塩!などなど。St-Mauriceの駅は機関車置き場があり、Rotonde(円形機関車庫)があり、Savatanの軍事施設や要塞に関連して軍の巨大需要があり・・・
駅の横の高架橋を通って、駅の反対側へ。ちなみに駅の歴史はこちらを参照しました→ https://notrehistoire.ch/entries/EgNBp67oW2Z
住宅街を抜け、
Chemin des Stèlesを歩きます。
stèlesとは記念碑、石碑の意味で、修道院の1500年を記念して2015年にステンドグラスをはめた記念碑の小路を整備したそうです。
駅から15分ほどでVérolliezに着きました。Chapelle de Verolliez、またはChapelle des Martyrs 殉教者の教会堂です。
ローマ皇帝の命令を拒否して死を選んだモーリス率いる、エジプトのテーベからの部隊が処刑されたのが、この教会堂がある場所。
この教会堂は1746年の建立で19世紀に拡張されたもの。モーリス達の遺骨(部隊6000人中600人が亡くなった)などを集めて弔った場所は、現在の修道院の隣にある、現在は基盤だけが残る教会堂の跡で4世紀末頃建てられました。
ちなみに、教会堂の後ろの山の斜面にはジグザグの道路が薄っすら見えますが、これはSavatanとDaillyの軍事施設(の跡)。
Savatanは規模を大幅縮小して現在は警察訓練所を兼ねてるんだったけかな。Daillyは要塞の跡を見学可です。ちなみにSavatanの真下には温泉施設Lavey-les-Bainsがあり、垂直の凄い崖なんですよね。ご先祖がLavey-les-Bainsのすぐそばに家があったという知人がいて見に行ったことがあるのですが、崖から岩がボロボロ落ちてくるので家は残ってるけど住むのはあきらめたと言ってました。
Verolliezには、ほぼ教会関係の建物しかない所です。Verolliezの語源は殉教の地から「人々の涙」virorum fletuが変化したものともいわれるし、「真実の場所」からとの説も。
そういえば2013年にここを歩いた時は聖モーリスに関する記念日か何かだったのかしら、アフリカ系の人達が着飾って教会堂の隣の建物に大勢集まってお祝い行事をしていたのを思い出します。
写真と歩行は2021年4月初め
St-Maurice観光協会サイトから
https://www.saint-maurice.ch/tourism/chapel-martyrs-verolliez-631.html
Stelesの小路:
https://www.saint-maurice.ch/tourism/steles-trail-route-49.html