Via Francigena (68) Massongexはケルト人の都

ローヌ川の向こう側はMassongex(マッソンジェ)。川が州境になっていて、西側がValais(ヴァレー)、東側がVaud(ヴォー)。ちなみにMassongexの川を挟んで反対側にはBex。

橋を渡るとすぐ教会。Massongexはローマ帝国に征服される前、紀元前1世紀頃まではケルト人の都の一つでした。レマン湖より上流のローヌ川沿いの谷、現在のValais州には4つのケルト人の国があり、ここChablais地方にはNantuates族。MassongexはNantuates国の中心都市で、その頃はTarnaiaeという名。ケルト人というとアイルランドなどのイメージがありますが、スイスにも住んでいたんですよね。なんたってアイスマン(氷河で発見された大昔の人)など大昔から人が住んでいて、その頃から皆さんヨーロッパ中を移動していました。教会の近くにあった公衆浴場テルムのモザイクが残っているとの記述もありましたが、見当たらず。

Massongexの自治体のHPに載ってた町の歴史:

https://www.massongex.ch/officiel/massongex/histoire/

10月末

教会のそばには新しめの学校。右下の紋章、一番右、縦の赤白に13の星はValais/Wallisの紋章。真ん中はMassongexの紋章。

そして学校の壁に描かれたモザイク風のイラストがローマ時代のモザイクの絵柄と同じ!ここにあったか!

教会から車道を挟んだ向こう側には小さいながらも細い道が入り組んだつくりの旧市街、路面も家もきれいに改装されていますが、大昔からの町のつくり。歩行者専用ゾーンでレストランが複数軒と地元の食料品等を扱うスーパーEdelweiss(エーデルワイス)。これがあるとヴァレー州に来たわ~という気になります。

これは橋を渡る前にMassongexを眺めた所。教会も旧市街も川からすぐのところにあります。Massongexは今でこそ、どうってことない小さな特徴の無い町に思われますが(失礼!だけど本当に)、レマン湖を船で横断し、ローヌ川を遡って船でMassongex(Tarnaiae)まで着いたら、その先は陸路でイタリアへ。船運で栄えた重要な宿場町でした。

川から山の方向へ行くと広場があり、バス停の横には公衆トイレ。

もう少し進むとMassongexの駅。

線路沿いの道を真っすぐ南へ。

Morcleの頂がまたまた形を変えてきました。

Massongexまではローヌ川流域が比較的平坦で広々してましたが、そこから段々と両側が狭まってきます。

歩行と写真は2023年12月上旬

試験に出ないトリビア:この地域がローマ帝国に征服されるのは紀元前1世紀のことですが、それ以前、ローヌ川沿いには4つのケルトの民が住んでいました。Haut-Valais→Ubères,、Sion→ Sédunes, Martigny→Véragres, Chablais→ Nantuates 。TarnaiaeはNantuatesの都でした。

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