St-Mauriceの修道院見学(1)遺跡編

Jougnena紀行で出てきたChapelle Saint-Maurice、フランスからサン・モーリス修道院へ詣でる巡礼道の途中に建てられた教会堂でした。わざわざ遠くから来るとは本家はどんなだろう?上の写真に写っているBasilique=教会堂は一年中、誰でも無料で入れますが、隣接してある元々の教会堂跡や宝物庫は冬期は休館。Via Francigenaを連載していた時は冬で見学できませんでしたが春を待って見学してきました(今また秋)。

教会堂のすぐ隣にあるこちらの建物で入場券を買います。チケット購入でオーディオガイドセット(日本語は無)と教会堂の奥の有料コーナーに入るための青いチップを渡されます。

右上の小さい建物が入場券&記念品売り場。その左側の細長い建物が現在の教会堂ですが、これは17世紀半ばに再建された「比較的」新しい建物。この左側にあった元の建物は度重なる火災や地震によりすぐ横の崖から崩れ落ちた岩や土砂に長らく埋もれていました。

現・教会堂の右奥にベンチと修道院の歴史などの紹介映像。この先が有料コーナー。

受付で渡された青いチップをタッチして入ります。先に伸びる廊下はカタコンベ、地下納骨所でした。(地図6)

まずは屋外へ。この壁は現・教会堂の入り口から入った先に見えるステンドグラス。そのすぐ裏。

カタコンベの外に平行にある通路を緩やかに上ると、

17世紀初めの地震で崩落した岩や土砂に埋もれていた部分です。何しろ右側に見える垂直で高い崖のすぐ横にあったので。

通路(右側)を通って端まで来て振り返ったところ。

上に張られた「屋根」は光や風を通しながらも170トンの重量にも耐える代物。よく見ると小さな岩や石がのっていて、隣接する崖から落ちてきたものです。17世紀初めに埋没してから、本格的な発掘調査が始まったのは1896年なので本格的な調査が始まるまで3世紀近くかかりました。

西暦2世紀の終わり、原始的な墓から始まり霊廟として次第に拡大し、最初の教会様の建物へと続いていきました。

初期に埋葬されていた人物については分かっていませんが、2m以上の深さまで掘られていたことから相当の地位の者と推察されます。

さてこの修道院が祀る聖モーリスとは3世紀末に殉教したモーリス将軍。将軍と隊の兵士はここから少し離れたVerolliezに葬られていましたが、

4世紀の終わり、Verolliezをテオドール大司教が来訪し、モーリス達の遺骨を発見したことが、それまでは小さな霊廟に過ぎなかったこの場所の運命を変えます。

遺骨が移されキリスト教の礼拝が行われ始めます。この辺りはキリスト教教会に見られる先端の丸い部分の跡です。

そして515年、ブルゴーニュ王Sigismondにより修道院がつくられ、以来1500年以上、現在まで継続して機能している稀有、最古の修道院。

記念日の9月22日には、現在でもスイスやフランスの修道院20か所以上からの出店があります。

現・教会堂から最も離れた場所に来ました。本当に崖のすぐ下。すぐ左手からは鉄道の線路、崖の中はトンネルが通っています。

ここは少し高くなっているので全体が見渡せます(地図12)。そして右下には

半円形。昔の教会堂の入り口に近い部分で(地図13)

巡礼者がまず詣でる場所で

聖モーリスの遺骨が納められていましたが現在は空洞。遺骨は聖遺物箱に移され、箱は宝物館にあります。

写真と訪問は2024年6月

修道院HP:

https://www.abbaye-stmaurice.ch/fr

遺跡と宝物館の見学可能日、1~3月は休館(現・教会堂はいつでも可能)時間や曜日について、季節により大きく変わるので注意。来年度以降の変更も予想されます。:

https://www.abbaye-stmaurice.ch/fr/culture-patrimoine/votre-visite-199

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