続・ブドウ畑の道(14)RiondazからMuraz地区

TservettaからRiondaz地区へ、ブドウ畑の斜面を上って

てっぺんまで上り、Sierre市内を見下ろします。奥に見える(光の加減でぼんやりしてますが)のがAnniviers谷。(ここからしばらくは12月末の写真)

Riondaz地区に入りました。

地図上で赤の点をつけたRue de Murazを歩くと、ここバスが通る道なんですね。しかし車道から一歩奥に入ると家がくっついて建っています。

通りの中ほどには教会。前々回の教会もそうでしたが、Anniviers谷から村総出での大移動の際には神父も帯同してこの教会で活動。

ここはブドウ畑の斜面の縁。東側、ローヌ川に沿っての眺め。

右奥に見える丘はRavouire。

教会から通りに戻り、反対側のその先には学校。

この学校、建物は新しくなっていますが、元々はAnniviers谷の子供たちのためのものでした。学校の先生もやはり移動、集落が丸ごと移動していたわけです。

再び11月の写真。Riondaz地区に入った所。ブドウ畑の斜面があって、Sierre市街を見下ろしたところ。

Riondaz地区の東端から地図でのオレンジ色の線、本通りから一本奥に入った小道を歩いています。左(北)側にはずーっとブドウ畑が続いています。

さてVallaisの中山間部で見られる木造の収納庫。

Bourgeoisie St-Lucとのパネルが付いています。St-LucはAnniviers谷にある集落。Anniviers谷のSt-LucとChandolinの2つの集落からの人々がSierreにあるブドウ畑を世話しに移動してきていました。

Sierreの地でありながら、そこから遠く離れた集落の人達が学校・教会・水車製粉所といった日々の暮らしの実権のすべてを仕切っていたわけで、この収納庫も1988年までSt-Lucの代表者の管理下にありました。

Murazの十字路まで来ました。また別の穀物庫。

「アルプスの少女ハイジ」のイメージで、山間部に住む人も冬には平地に下りるのかなあ、思っていましたが、Remuageの移動形態では違います。Anniviers谷の人々は年に2回、春(2月中旬から2か月)と秋(10~11月)に家族全員が家畜も連れてSierreの家に移動してブドウ畑での作業。それが終わると家畜を連れて山に戻ります。夏の間は男のみが平地のブドウ畑などの手入れにSierreへと往復。その間に女子供は家畜の世話。夏にはお馴染み高地で牛を放牧してチーズにし、冬に備えて干し草作り。秋には家畜はソーセージに変身・・・秋には再度家族全員が下山してブドウの収穫作業の後、冬は山で過ごす!上の写真ではChemignon(山間地)の人達のOllon(ブドウ畑の道の連載でも通った平地)へのRemuage。一年間の月毎に作業が平地から高地へ移動したり両方であったりするのを描いています。Sierreだけでなく他の多くの平地のブドウ畑に山間部から人々が通ってきていました。その後20世紀になり、氷河からの水力発電を用いてアルミ精錬工場がSierreのローヌ川の向かいのChippisに出来ると、山の民は工場労働者となり、Remuageは次第に消滅。St-LucもChandolinも現在はスキーリゾート地。

写真と歩行は11月中旬と12月下旬

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