Far west de Genève(3)ジュネーブとサヴォアの境石

ローヌ川岸のスイス最西端から国境線上、

国境石(赤矢印)が点々とある道を南下し、南西の端にある

小川を渡ったその先にもまた石の柱が見えます。

近寄ってみると、おぉ、このハイキング表示板はスイスの見慣れた黄色のではなく、フランス形式。フランスに入ってしまったかと一瞬心配しますが、ここもまた国境の角ポイントです。Borne frontiere no1 Alt(標高)340m Haute Savoie(オー サヴォア)とあります。Haute Savoieはフランスの県の名前。スイスの南と西のお隣さん。境界石第1号。

国境石の紋章、これはRegno di Sardegna、サルデーニャ王国の紋章。現在のサルデーニャはイタリア半島南部にある「島」で、そんな遠くが何で?と不思議に感じますが、その昔サルデーニャ王国はトリノに首都があり、ピエモンテ・サルデーニャ王国とも称されていました。そして現在はフランスの県を構成しているサヴォアは当時、このサルデーニャ王国に属していました。ちなみにフランスの紋章だったら百合の花になります。

反対側は1816年とジュネーブの紋章(鷲とSt-Pierre大聖堂の鍵)

上に境界線

手前の石柱の奥、小道の左端にはもう一基。

見えにくいですけど、Gとあり、Geneve(ジュネーブ)

反対側にSとあるのはSuisseではなくSavoie、もしくはSardegna。両方とも頭文字はSなのでどちらを意味するのか?

1816年に置かれた境界石、この時には国境というより、サルデーニャ(S)かサヴォア(S)とジュネーブ(G)の境界。ジュネーブ州は1798年にフランスに併合されLeman(レマン)県の県庁所在地となります。ナポレオンの失脚後1814~1815年に行われた、国境を策定するウィーン会議にジュネーブは招かれ、その機会に周辺領土を拡大しようとします。ルイ18世のフランス側に残ることを選んだ地域もありますが、サヴォアに属していた30の自治体がこの際にジュネーブに編入されます。ジュネーブは1815年5月にスイス連邦に加入。1816年に設置された境界石はジュネーブとサヴォアの間で取り交わされたトリノ条約を受けてのものでしょう。

歩行と写真は2024年5月上旬

サヴォア・モンブラン地方のサイトから、まさに今回書いた境界石について:

https://www.savoie-mont-blanc.com/sites-culturels/borne-frontiere-n1-829450/

スイスの境界石:

https://histoiredebornes.ch/

境界石の位置を記した地図:

https://histoiredebornes.ch/bornes/carte/91

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