Via Spluga (10) Splügenに到着

Crestawaldから谷底の湖の北側を通ってSplügenまで歩きます。

久々に開けたところ。Sufnersee(Sufner湖、ダム湖でもあります)。高速道路と平行に。

Sufersの町に入ります。

13世紀に西からWalserが移住してきて、その頃から既にロマンシュ語よりドイツ語が主流で話されている地域です。Andeer周辺はロマンシュ語の5大方言の一つであるSursilvanの地なので、言語的にはガラッと変わっています。(この先のSplügenも同様)。

Walserの黒い木の壁の家とイタリアの影響の白い壁の家の混在。

Splügenまでもう少しのところで雨が降ってきました。標高は1400mを超えています。

町まで1㎞位のところにBurg Splügenの城跡。RofflaからはRheinwaldというHinterrhein川の上流の3つの谷を合わせた地域になり、Rheinwaldでは唯一の城。13世紀後半に建てられたものの14世紀初めには既に放棄された、ほんの短い間しか使われなかった城。

SplügenはVia Malaが通商路として整備された15世紀以降、中継地点として栄光の日々を迎えます。4軒あるホテルのうち2軒は歴史的に重要な建物なのでちょっとご紹介。

まずHotel Weiss Kreuz(白十字)はSwiss Historic Hotelにも選ばれていて、1375年に建てられた元々の部分はロバの背に荷を載せて運んでいた時代からの、ロバと人間が一緒に休める宿 (mule inn)。町を襲った大火の後改築され、ドアや窓は改築当時18世紀初期のもの。入り口は昔ロバをつないでいたスペース。

もう一軒のBodenhausは大火後の1722年の建。BodäとはWalserの言葉で「平らな場所」の意味で、穀物、塩、バター、チーズ、絹、布などの運ばれてきた荷を保管していた蔵。

19世紀初めに道が拡張されるとロバの背に載せての運送から馬車での運送に代わり、周辺の小規模運送業者は衰退し、取引商品をストックしておく必要もなくなりました。代わりに求められたのが馬車の御者が泊まるそれなりにこじゃれた宿。

19世紀初めにホテルに転用され、のちに車道や1967年には高速道路A13ができて馬車は通らなくなりましたが数々の有名人がこのホテルに泊まっています。イギリスの画家ターナー、ニーチェ、アンデルセン、アインシュタイン・・・

両ホテルともレストランを併設しているので、泊まらなくてもご飯だけでも食べられるし、時間帯によってはコーヒー一杯だけでも可能でしょう。

Via Splugaの3日目、私はAndeerを10時近くに出発、11時Rofflaの滝、12:40要塞博物館Clastawald到着、13~14:30見学、もうすぐSplugenというところで雨が降り出す。16時ちょっとすぎに運よく16時開館の歴史資料館に入る(5フラン)。展示は・・・だが雨宿りの人でにぎわってた。17:45のバスでAndeerへ戻る。現在は1時間毎にあるバスがこの当時は2時間に1本で、バスは高速道路A13を通った。お昼ご飯は歩きながら何か食べたんだろうなあ。Splugenにはハイカーの味方、スーパーVolgとチーズ製造所があります。また公衆トイレはSplugenのバス停からSan Bernardino方向に向き、道を隔てた左側の空き地にありました(2013年)が今はそもそも空き地が残っているのか不明。

歩行と写真は2013年8月

Viamalaの公式観光サイトから、Splugen

https://viamala.graubuenden.ch/de/regionen-entdecken/rheinwald/spluegen

スキー場や夏山のWebカメラを集めたサイトからSplugen:

https://www.bergfex.fr/spluegen-rheinwald/webcams/

Splugenの公式サイト:

https://www.spluegen.ch/home

Hotel Bodenhaus: https://www.hotel-bodenhaus.ch/en

Hotel Weiss Kreuz: https://www.weiss-kreuz.ch/index2.html

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