Via Spluga (4) Viamalaは「悪路」の意味

Viamala-Schlucht、Viamala峡谷のバス停の前にあるキオスクで入場料を払うと、321段のジグザグの階段で谷の底(川面)近くまで降りれます。この写真は2013年のものですが、今は建物が新しくなってるようですね。また開館は3月末から4月頃(イースター)から10月くらいまでです。

岩壁は、一番高いところでは300m、なるほどここは船では通れない狭さです。

峡谷を降りる階段は1903年からあり、当時からヨーロッパ中の有名人が見に来ました。例えば哲学者のニーチェはここを訪れて「何というところだ!私はスイスのことを全くわかってなかった!」と書いたそうな。

岩の下にも通路がしつらえてあります。

そして上を見ると川を渡す2基の橋。

Viamala(Via Malaとも)とは「道・悪い」の意味。ここまで歩いてきた峡谷を通る道は2000年ほど前、ローマ帝国によって整備され、実際Visigothの反乱の際には鎮圧に派遣された兵が大挙して通ったのはこの道でした。キオスクの向かいの山肌というか岩肌に、その当時の道の跡(?)が残ってます(写真の赤矢印)。ローマ人は2本のトンネルを岩の中に掘りました。

こちら拡大写真のローマ兵。しかしローマ帝国が衰退し、アルプス以北を統治する力がなくなると道は補修されることなく荒れ、Via Mala=悪い道と称されるようになります。15世紀になってようやくThusisの行政官によって整備されると通商路として大いに使われ、この先のSplugenとSan Bernardinoが繁栄しますが、それはこの先のお話。

2基の橋があるのは地図で879の数字があるところ。ピンク色の太線は今でも使われている州道でバスも通る道で、

歩道もあるのでハイキング道もここを通ります。こちらの橋は1930年に道を拡張する際に付け替えられましたが、もう片方の白線で行き止まりになっている方の橋は建築時のままで現在は見晴スポットとして使われてます。

2基の橋ともDavosの技術者Wildenerの設計により1739年に完成。反対側の岸に渡って崖じゃない側を歩けるようになり、利便性が増しました。写真の中央に周囲の岩に溶け込んでますが石の太鼓橋が小さく見えます。

バスが遠くに見えます。深い谷です。古い橋の先には昔軍隊用に使ってたトンネルがあり、周辺の歴史などを解説したパネルがあります。

緑の線、左が50番のVia Spluga、35番がWalserweg

1818~1823年の工事で橋が拡張され、Viamalaの対岸に馬車で一気に通れるような幅のある道がつくられると、それまでのロバの背に載せて短い区間の運送を担う周辺の運送業者は衰退してしまうのですが、それはまた先のお話。

高速道路の下を再び川を渡り、

間もなく森を抜けてVal Schons、開けた広い谷に出ます。私は一日目Thusisを13時半に出発しViamala-Schuchtに17時前に到着、バスを待つ間にViamala-Schluchtを見学し、そこからバスで宿泊地のAndeerまで行きました。橋から先は2日目です。

写真と歩行は2013年8月下旬

Via Splugaのハイキング公式サイトから一日目、ThusisからAndeerまで:

https://www.schweizmobil.ch/en/wanderland/routes/etappe-01143.html

州の公式観光サイトからViamala峡谷

https://viamala.graubuenden.ch/de/entdecken/viamala-schlucht

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