L’Escalade(4)Cortègeは自治を守ったジュネーブの誇り

1602.chよりCortegeの経路。青い線Tribute to victimsが金曜日ので、右下を出発して左上へ犠牲18名を祀った教会Temple de St-Gervaisがゴール。赤い線Historical processionが日曜日。Place des Bastionsを出発して3時間半かけてCathedrale大聖堂まで。

金曜日のCortège(時代絵巻の大行列)が犠牲者を悼むものだとしたら、3日間の祭りの最後を飾る日曜日夕方からのは、1602年当時のジュネーブの町を形成していた人々、自治を守った彼らの誇りです。

出発は17時からですが、Place des Bastionsにはお昼ごろから家畜などがぞろぞろ集まってきます。Bastionsは城壁で囲まれていた旧市街の外で一段低くなっています。ここから少し離れたところにPlainpalais広場があり、1602年の12月には、PlainpalaisにSavoieの大軍が駐留して、少数精鋭部隊が城壁内に侵入して内側から城門を開けるのを待っていました。

結局、Savoie先駆隊が物音に気付いたジュネーブ市民の反撃にあい、撃退されてしまうわけですが。

この旗はSavoie側のですね。分捕った戦利品?

日曜日の昼間。ここは旧市街の外、目抜き通りに馬。

ともあれ、400年以上前の12月の夜にこの街であったこと、人々が守りたかったこと、彼らのことを思い出して街を練り歩いています。

Cortègeは経路上、どこで見ても楽しめると思います。通りが狭くなってるところも広くなってるところのどちらでも。行列は松明から始まります。17時ともなると段々暗くなります。写真は2012年のものですが、この当時の私のカメラと技術では暗闇は大変厳しいので最初の方と最後大聖堂前でしか撮ってません。

HP上のパンプレットでProclamationsと記されてある6か所(Bourg-de-Four、Place de Molard、Coutance、Corraterie、そして最後の大聖堂前では使者役が宣言文を読み上げるのでCortègeの歩みが中断します。

CortegeはHéraut Autorités(Huissier)といった行政官、 Justice(司法官) Ecclésiastique(聖職者)、普通の人々として町の人々、さらには家畜を連れたJussy、Penayなどの周辺の村の人たち、milice bourgeoise(自警団)と続きます。間には鼓笛隊も入ります。

そうそう、土曜日の夕方は大聖堂でEscaladeのミサで、ここにはプロテスタントに加えてカトリック、ユダヤ教、イスラム教の代表、1602年委員会の衣装の方々、それにジュネーブの市長や議員などのお偉方も揃って入場します。
だから今では全ての宗教の和解を確認したうえで、ジュネーブを作った人々への感謝(亡くなった18人の名が読み上げられる)の場となっています。ここでも歌うCé qu’è lainô!

Bastion広場を出発して3時間以上かけて町内練り歩き、こんな感じで大聖堂前に到着するとそこにはかがり火が焚かれ、ここでやっぱりCé qu’è lainôの大合唱。

Cé qu’è lainôは1603年に当時ジュネーブ近辺で話されていた方言で作られました。フランス語と相当違う!ジュネーブの公式賛歌で68番まであるけど大抵は4番までしか歌わないけど、本当に今でもサッカーの試合とかジュネーブの行事では歌うのだ。

ジュネーブの公式ページからCé qu’è lainôの歌詞や説明

RTSのラジオ番組からジュネーブ州の賛歌(2017年7月29日放送)

やはりRTSの放送から(2013年12月14日)

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