Via Gottardo (33) 峠を通った郵便と将軍と要塞

峠には博物館に転用された建築物が2か所あります。元軍事要塞!と元Sustです。Sustは荷物の積み替えや税関などに使われた建物で博物館になっています。現在改築中で2021年まで入れませんが。新オープン時にはきっとより視覚に訴える展示になるのでしょうが、2013年に私が行った時でも峠を巡る歴史や状況説明ビデオ(20分の大作)が迫力でした。歩いた経路をSchöllenenの峡谷周辺の立体模型で説明されて改めてなるほど~。

峠を通っての「郵便」が始まります。最初は宗教関係者で、峠を挟んだ両側にある修道院の間のやり取り。ボローニャやナポリの大学関係者、ミラノやベニスの司教などが「お手紙」を書いて送ってました。14世紀になるとスイス連邦、州間で手紙のやり取りが活発化します。郵便配達人は写真のように州ごとのカラフルな紋章付きの制服(州の紋章のカラーから、誰がどこの州の使者だかわかりますか?)に身を包み、剣を持った特使でした。1511年に郵便配達人2人がルガノの傭兵に殺されたときには連邦軍がミラノを攻撃したほどでした!やがて峠を経由した「定期便」が始まり、多くの会社が参入します。この頃Lucerneとミラノ間の郵便は4日。郵便に馬車が使われ、手紙だけでなく荷物、そしてお客も運ぶようになると、郵便馬車、そう現在のPostautoの始まりです!冬の間はそりで運んで。私が車なしでも山や野の隅々まで歩きに行けるのは黄色の郵便バスのお陰です。感謝。

もう一つの見学場所はバス停からほど近い場所にある軍事要塞です。こちらも期間は6月から10月と短いですが、個人でもグループでも中の見学ができます。私は未訪。夏でも寒いからそれなりの格好でとの注意書きがありますね。

Sasso San Gottardo、Sassoは石の意味です。見学できる要塞博物館のサイトはこちら:

https://www.discover-the-heart-of-switzerland.ch/

銅像で遊ぶ子供

子供が遊んでるのはロシアのSuwolow(Suvolov)将軍の像。将軍は1799年にAiloroから北上して峠やSchollenen峡谷でナポレオン(本人は来てない)軍と戦い、そのせいでホスピスや「橋」が被害を被ったのですが、銅像立ってます。

将軍は秋から初冬という厳しい季節に山岳地帯を移動してオーストリアに逃れたわけで、スイス人によると、壊しやがって、という非難よりも、雪も降るような寒い季節に大変だったね、の気持ちのほうが強いようです。銅像立てるくらいだからそうなんでしょう。ナポレオン軍が悪いとも言えるしな。以前書いたように、将軍の敗走経路はVia Suworow、全長170kmのロングトレイルとして整備されてます。

ホスピスではお金がない人にもチーズ、パン、スープ、アルコールがちょっと、それにベッドが分け隔てなく提供されたそうです。次回は峠を後に下山します。

Via Suworowの別サイト(ドイツ語):http://www.kulturwege-schweiz.ch/viaregio-routen/viasuworow.html

写真は2012年6月下旬と2013年10月

Copyrighted Image

error: Content is protected !!
テキストのコピーはできません。