Via Gottardo(11)ZofingenからDagmersellen

ZofingenからSurseeまでのコース全体地図 地図はhttps://map.wanderland.ch/より

Via Gottardo 5日目、Zofingenから歩きます。前回Zofingenまでが2012年5月、そのあと順番通りには歩かずに、翌月6月にいきなり山場のGottardo峠を攻略してまして、Zofingenからを歩いたのは2013年の6月です。

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Zofingen駅から旧市街を通って南東に。旧市街から少し離れたところにローマ帝国時代の浴場の跡のモザイクタイルが残っていて、コース途中にあります。私は行きそびれてるのですが、無料で見学できるようです。バス停「Römerbad ローマの浴場」の近く。そのまんまの名前ですね。DagmersellenまではWiggertalという谷に沿って歩きます。谷といっても氷河によって削られた、平べったい幅広の谷です。並行して走る鉄道と川と高速道路沿いは肥沃な地。ハイキング路は谷底の東端を歩きます。左手は高台への斜面となっていますがその淵。
さてZofingenのすぐ先で、Aargau(アールガウ)からLuzern(ルツェルン)州へと変わりました。このAargauとLuzernはものすごーく異なる過去を持った州同士なんですね。まあ、どの州もそれぞれ違うけど。なるべく手短にしますが、しばらく歴史の話にお付き合いください。

まずAargau。州内にあったVindonissa(現Windisch)はローマ帝国時代に6000人の兵を抱える直轄兵営地で、関連して周辺に多数の町が早くに形成されました。Baden(ドイツにも同名の町がありますが、要するにお湯が出たのであろう地)はローマ時代からのリゾート地でありました。
ローマ帝国衰退後の西暦5世紀には北方からAlemanni人がやってきて、話される言葉はラテン語から今のドイツ語の先祖のようなものに変わっていきました。その後6世紀にはフランク王国統治下になります。
さてAargau州には今でも城がたくさん残っています(あ、小さくて超質素な城です)。いろいろな氏族の統治を経て、現在のAargau州の南部にあたる地域は中世にはLenzburg、Kyburg、Habsburgという3つの伯爵家が治めるようになりました。あの有名なハプスブルグって今のスイスの出なんですね。

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Reidenの町を見下ろす

Olten、Aarburg、Zofingenなどの町は、元はFrobourg(Frohburgとも)氏の町でしたがHabsburg氏に買われたんですね。Habsburg氏の最初の城がつくられたのは、1020年ごろ、今のBruggというWindischの近くでもある地域でした。その後、力を増し領土を拡張していきました。

スイスの国の成り立ちというと、ハプスブルグ家横暴、ハプスブルグ家との闘争、そこからの独立、となりがちですが、少なくともAargau周辺の人たちにとってはハプスブルグ家といっても、今までの他の領主と大して変わらないか、むしろ地元の誇り、出世頭、我らの殿、といった感覚だったんじゃないかと私は思います。これが隣のLuzernになると事情は大きく異なる、という話は次回。

Dagmersellen

Dagmersellenの町に着きました。Zofingenを昼の12時過ぎに出発して、この時点で15時くらい。ここまでは次々と現れる町(とバス停、駅)をつなぐ道で、実は割と普通の風景。Dagmersellenを過ぎるとSt.Erhardまで10㎞以上、3時間は歩き続けることになります。エスケープルートはあるけれど。

写真・歩行 2013年6月初旬

公式サイト Via Gottardo <5> ZofingenからSursee

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