以前書いたように、新設されたレマン・エクスプレスに乗りに行き、Chêne-Bourg駅で降りました。近くにあるLouis Favreの銅像を見に行きたかったので。
線路は地下を走ってるので駅といっても大きな箱のような建物があるだけです。この辺りは現在開発中な感じで見慣れぬ高層建築。高層階には住居、下層階にはオフィスや店舗、それに大規模な駐車場を備えた複合ビルになるようです。ここから南方向に(太陽と自分の影であたりをつける)10分ほど適当に歩くと路面電車(トラム)が走ってる大通りに出ます。
これがその大通りRue de Genèveなんですが、一転して低層階の建物がずーっとくっついて並んでる昔ながらの街並みにびっくり!ここはGenève中心までトラムで一本、地価価値が相当ありそうなところなんですが下町風情。この通りを10分ほど行くとPlace Louis Favre、Louis Favre広場に着きます。
広場には最初のゴッタルド鉄道トンネルの設計者、つるはしを手にしたLouis Favreの銅像があります。後ろの建物はÉcole de la Place Favre、小学校です。Favre氏はトンネル建設の経験はあったものの、そこまで長いトンネルは初めて。非常に楽天的な性格だったそうです。
銅像の台座の側面には鉄道建設現場が描かれています。
その下にはプレート。Statue(銅像)の位置からトンネルの北端Göschenenと南端Airoloへの角度、距離、標高。そこから割り出されるトンネルの長さ。
反対側にはトンネル内で倒れて運び出される場面でしょう。当時鉄道会社とFavre氏が結んだ契約は今では考えられないようなもの。8年間という期間内にトンネルが掘れなければFavreが期限以降、日々莫大な違約金を払うという恐ろしい内容。予想を超えた過酷な現場で、トンネルが貫通する僅か7か月前の1879年7月にトンネル内で倒れ、53歳でお亡くなりになりました。その後無情にも鉄道会社は遺族に違約金を請求したとか。今のスイスの建築現場で延滞金払ってたら建築会社全部倒産だな。100年後に同じくらいの長さの車用トンネルを掘った時には10年間もかかったのに。1880年にたった8年で掘ってしまったのはFavre及び多数の労働者の無茶な犠牲の末の奇跡。
銅像は1893年の建立。連邦政府、ジュネーブ議会、ジュネーブ市、ゴッタルド鉄道、他一名が資金を出しています。
広々とした広場で、この日はクリスマスツリーが売られていました。一番大きいツリーは売り物じゃなくておそらくChêne-Bourgの自治体のツリー。これは銅像を後ろから見た写真です。銅像Louis Favre(後ろ向き)の視線の先に、画面の奥にはRue de Geneve、そこから細い通りが分岐しています。
Rue du Gothard。ここも昔からの建物が残っています。
短い通りですが、ここの4番地、真ん中の白い建物は
Louis Favreの生家でした。1826年1月28日にここで生まれた。一つ目のGothard鉄道トンネルを造った、とあります。ちなみにFavreの祖先は周辺のSavoieからやってきました。
12番と17番のトラムで停留所が「Chêne-Bourg Place Favre」。複数のバスが停まるバス停もあります(バスはよくコースが変わるので番号は書かない)。生家は現在Garage du Gothardとなっています。Louis Favreの名を冠した通りは他にもあります。そのうちの一つ、Neuchatelにある通りは同姓同名の自然科学者にちなんだものです。
ジュネーブのサイトの中で、Place Louis Favreについての説明。Louis Favreについての説明も
http://ge.ch/noms-geographiques/voie/geneve/place-louis-favre
写真・歩行2019年12月17日
Via Gottardo(25)ではGottardo山塊を貫く3本のトンネルについて書いてます。