Les Verrièresは街道に沿って家が連なっており、左側の紫の縦太線がフランスとの国境線。
通りに沿って歩いてみます。
家の一軒一軒がかなり大きいですが、空き家になってるらしい家もあったりして。
家々の多くは以前は農家の建物だったと思われます。昔の農業は大勢の人手が必要でしたが、現在では機械化でずっと少ない人数でも賄えることもあり、1870年には1910人に達していたVerrieresの人口は2024年には658人。物価の安いフランスに住み、フランスから毎日スイスに通勤している人も多く、街道の車の通行量は多かったです。
中央の扉の上にはBureau Communal(町役場)、右側の扉の上には「薬局」との表示がありましたが、薬局はもう営業していなさそう。
この建物の側面にはスイスの地図と赤十字のマーク、それに3人の兵士らしき人物の絵。よく見ると下に「Bourbaki」と書いてあります。
お隣は学校。現在の人口を考えるととても大きな建物。
その柵にもイラストが。ここVerrieresらしき町並みと兵士&馬。これらはVerrieresで起こったとある事件を記念して描かれています。
Sentier Bourbaki(ブルバキの道)という全長4㎞のコースがあり、その一部を歩きました。中央の通りCroix-Blanche通りを離れ、まずは線路脇の道を歩きます。
線路&道路に平行に、両側には細長く丘が伸びています。
線路とその脇のサイロ。この線路はフランスのPontarlierへと続いていますが、現在Verrieres駅に停まる列車はありません。しかし立派な駅舎は残っており、国境近くだからでしょうか?駅舎内に電気がついており、管理盤などがあるようでした。
トウモロコシ畑。このトウモロコシは家畜の餌用。先ほどのサイロはトウモロコシ貯蔵用かも。
教会、敷地内には1871年2月1日に起きたことを説明するパネルなどがあります。
教会の門にはフランソワ・オランド大統領(記念式典が行われた当時の)の言葉。
1870~1871年の普仏戦争はプロイセンとフランスの間の戦争。立て直しを図ったフランスの東部軍(別名Bourbaki将軍の軍)は敗走、スイス国境付近の山地まで追い詰められ、全滅の危機に瀕し、東隣りにある中立国スイスに逃れます。
Verrieres条約が結ばれた厳冬の2月1日、9万人(!)のフランス兵と馬が国境を越えてVerrieresに入り、武装解除されます。兵士は捕虜として、Verrieresから1860年に開通した鉄道でスイス各地(ティチーノ州を除く全ての州。ゴッタルドトンネルがまだ出来ていなかったのでティチーノ州には運ばれず)に運ばれ、6週間スイスで手当てを受けた後、フランスに送り返されました。1864年に調印されたジュネーブ条約によってつくられた国際赤十字の最初の大規模な活動でした。
Bourbaki軍とVerrieresについて、当地の会:
Bourbakiを記念する道、Val de Travers(Verrieresがある地方)の観光サイトから:

歩行と写真は2026年7月下旬

















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