Luganoについて少し。町の規模は州都であるBellinzonaよりずーっと大きいです。実はチューリッヒ、ジュネーブに続くスイスで3番目に重要な経済拠で銀行、会議施設、ビジネスセンターなどが集中しています。
Luganoは例によって長いことコモとミラノが所有を争ってましたが1513年にスイスの原初連邦に併合され植民地扱いになっていたのはTicinoの他の地域と同様。1798年にナポレオンの一声でHelvetic RepublicにLugano州として加盟します。この時のLugano州とは今のTicino州の南半分、スイスに併合されてた時代のLandvogteienで一緒だったLugano, Locarno, Mendrisio, Valmaggiaで形成されてました。
州として加盟といっても自治権はほとんどなかったので1799~1802年の間に2回反乱を起こし独立を試みる!が、果たせず。1803年にBellinzona州と合わせてTicino州となり自治を得、Bellinzonaとは1869年まで何年かごとに交互に州都を交代してました。
Luganoの発展は「通り道」に位置することと切り離せません。湖は今でこそ観光地ですが昔は水運が物資の輸送に重要でした。1848年に最初の蒸気船が登場、1856年には定期船になりました。鉄道網の拡充は前回書いた通りです。19世紀中旬から1970年まで人口は増え続け、特に1880~1910年にかけては倍増。1870年には早くも外国人比率が19%、この時はほとんどがイタリアから。1910年には44%と他のスイスの自治体に比べても外国人の流入が早い方。
冬もまあまあ温暖で春の訪れがスイスのほかの地域よりも早い(夏は暑くて湿度も高い)ことからスイス人にとって春先のイースター休暇に訪れたい観光地(今年はCOVID-19の被害が甚大な地域のため、Ticino州に来ないでとの強い要請が出された)。周囲はすぐ山々です。
すぐそばの1000m程度の標高の山にはケーブルカー、もうちょっと先のもっと高いMonte LemaやMonte Generosoにはロープウェーや登山鉄道でアクセスできることは前回までで書きました。
Luganoのすぐ近くの風光明媚な「ちょっと山の上の集落」は今まで歩いてきたところの山の中の集落と異なり、過疎とは無縁、空き家率ほぼ0%、スイスのドイツ圏の金持ちや、もっと言えば世界の金持ちが住んでたり(毎日通勤しなくてもいい仕事の人)、別荘地として使ってたりします(スイスの税制はド金持ちに優しいのでヨーロッパの超金持ちが不動産を買う)・・・
さて前回名前がちょっと出たMario Botta。Mendrisio出身の建築家でLuganoやTicinoはもちろん、世界各地に建物やオブジェつくってます。ミラノのスカラ座の2004年の改修や、日本では渋谷のワタリウム。ま、いいものもあるし普通のもパッとしないのも変なの(私の好みじゃないもの)もある!
前々回書いた標高Monte Tamaro直下、ロープウェー終点駅に建ってるアバンギャルドな教会もそう。TicinoではMognoというところでやはり前衛的な教会を設計していてここは行ってきたのでそのうち書きますね。
おまけの話:Luganoから湖を南に行き、東の対岸にあるCampione d’Italiaはイタリアの飛び地。面積2.6平方km。その歴史は西暦777年にこの地がミラノの大司教へと贈られた結果、コモ司教の領地だった周囲と切り離されたことが発端。1521年にローマ法王がTicinoの地をスイス連邦に与えた際も、CampioneにあるAmbroise僧院の僧たちはCampioneに留まることを選び、1933年のムッソリーニ政権下でCampioneの名に「d’Italia=イタリアの」が付け加わる~~~で今に至るのですが、財政の多くを1917年と第一次世界大戦の真っ最中!に作られたヨーロッパ最大のカジノに頼ってました。
2007年にこのカジノの建物を新築したのがMario Botta氏でしたが2018年にカジノ破綻。イタリアに援助を頼んでも断られ、相当大変という話を聞いたのが去年あたり。というわけで今はカジノありません!ここ、自動車のナンバープレートはスイスの、電力はイタリアから、郵便番号は昔スイス、今イタリア、となってるそうです。
Luganoと近郊の公式観光サイト
https://www.luganoregion.com/en