Brevine (2)フランスとの国境まで歩く

La Brevineの町中心の標高が1042m。そこから北に向かったところにあるバス停が1051m。その少し北から等高線が少し詰まってきていて(傾斜がきつくなる)バス路線と平行に緑(森林)の丘が長くのびています。丘の最も高い部分でも標高は1100mを少し超えた程度で、細長い丘の北側は再び標高1000m台。

この程度の高さの丘が北側に

そしてこの細長い丘(森)上に国境線(太い薄紫線)。一方Brevineの町の南側でも傾斜がややきつくなり、薄緑で表された森林の丘。つまり、Brevineがあるのは標高が1000m台のやや広めの平地で、南北を緩やかな丘の帯に挟まれています。

Brevineからフランスとの国境まで行き、更に国境線をたどるハイキングコースがありました。事前に予習したNeuchatelのSentier(道)選サイト内にあった2時間10分のコースはBrevineから北上し、東側へ行って戻るコースとなってたけれど、

現地に行ったら西側へもコースが続いていて、その名も「国境線沿いを歩くハイキングコース:1766~1819年に設置された国境石をつなぐ」とのタイトル。PDF版のガイドはこちら

町中心から北へ。奥に見えるのが森林丘でその向こうはフランス。

国境への道、スイスからフランスへの道は別のハイキングコースになっていました。写真は第二次世界大戦中、フランスでレジスタンス活動に当たっていたMichel Hollard氏のスイスへの入国経路をたどるコースの地図です。Hollard氏は諜報員としてフランスから密かにスイスへの入国を繰り返し(98回!)、1972年に映画化された「ロンドンを救った男」のモデルに。

解説板が道すがらにある

1941年5月から1944年2月にパリで逮捕されるまで3年近くに渡り、ドイツの占領下にあったパリからBrevineの北側にある森を抜けてスイスに入り、ベルンに滞在していたイギリスの諜報員と情報を交換し続けました。ちなみにHollard氏は逮捕後も生き延び、戦後はイギリス国王に謁見して労をねぎらわれましたのでご安心を。

これが映画にも出てくる、フランスからスイスに入ったHollard氏がいつも最初に目にしたスイスの眺め。奥にBrevineの町中心。僅かに高いけど、ここまでほぼ平坦。Brevineの向こうにも森林の丘。

なるほどBrevineは2本の低い丘に挟まれた地形で、これが時に気温を大きく下げさせることになります。

北側の丘目指して歩いています。

通り過ぎたこの建物は以前はDouane(国境管理所)の建物でした。

国境まで来ました。

歩行と写真は2024年7月上旬

Chemin Michel Hollard:

https://www.pays-horloger.com/immersion-dans-la-resistance-avec-le-chemin-michel-hollard/

https://www.j3l.ch/de/V3624/erlebnisse/sport-freizeit/wandern/michel-hollard-weg

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