スイスにおける死と葬式と墓(6)Cimetiere des Rois

前回のSt-George墓地に続いて、今回はジュネーブの中心部、Planpalaisの近くにある墓地Cimetiere des Roisを訪れます。地図の左側に前回のSt-George墓地。それに対して右端に薄緑の長方形がCimetiere des Rois。ずっと小さいですね。現在は中心部と言える場所ですが、運用を始めた1482(!)年当時は大聖堂がある丘(地図外ずっと右)の城壁の外で「城外」になります。

Cimetiere des Rois(王たちの墓)との名ですが、Rue des Roisという通りの名前から来ています。スイスに王様いないもんなあ。

王族ではないにしても、葬られているのは政治家を始めとする「ジュネーブの発展に貢献した人」として審査に通った人達で、墓石もかなり派手で独創的なものも多い、かな。別名ジュネーブのパンテオン。

前回のCimetiere Saint-Georgesに比べるとずっと小さく墓の数も350基。

こちらは宗教改革者、ジュネーブのドン、ジャン・カルバンの墓となっていますが、

1564年に亡くなった際に既に存在した、Cimetiere des Roisに葬られたのは確かですが正確な場所が分からず、19世紀になってから再建されたものだそうです。

これは新しい!Pierre Naftule(1960~2022)は喜劇人。スイスのフランス語圏に詳しい方ならMarie-Therese Porchetという女装のキャラクターの生みの親としてご存じかもしれません。喜劇分野からでも選ばれるんだ、と驚き。

墓石の上に猫が載っています。Il nous aura bien fait rire mais pas cette fois、彼には散々笑わされたけど今回ばかりは笑えないぜ。

Jorge Luis Borges(1889~1986)ホルヘ・ルイス・ボルヘスはアルゼンチンの作家

第一次世界大戦中にジュネーブに滞在して現在のCollege de Calvinで学び、故国アルゼンチンに戻って作家活動を行いましたが、重病を患いジュネーブに来てから数か月後に死去。この日、スペイン語を話す数人がお参りに来てました。

Wikipediaの写真などでは真っ白い墓石でしたが、年月を経て色づいた墓石となっており、白い墓石を探していて見つけるのに苦労しました・・・

G. H. Dufour(ギヨーム アンリ デュフール 1787~1875)とその妻。軍人で政治家で建築家。以前、要所St-Maurice近くでDufour要塞跡をご紹介しました。

音楽家Ernest Ansermet(1883~1969)

出入り口が複数あり通り抜けが可能なこともあり、ジュネーブ市民の憩いの散歩道となっています。日本とは違って基本的に芝生内の立ち入りはOKなので遠慮せずに歩きましょう。というか、芝生に入らないと見られないお墓がほとんど。墓地内東側に建物があり、著名人の墓の地図があります。

写真は2024年12月下旬

https://www.geneve.ch/cimetiere-rois-plainpalais

https://www.das-geneve.com/cimetiere-des-rois-geneve/

Cimetiere des Roisに眠る人物の一部一覧:

https://fr.wikipedia.org/wiki/Liste_des_tombes_du_cimeti%C3%A8re_des_Rois,_Gen%C3%A8ve

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