続・ブドウ畑の道(17)Salgesch/Salquenen

今回はMiègeから36番の道(真っすぐ東へ向かう緑の太線)を離れ、南下してから、やはり東へ(オレンジ線)

やはりブドウ畑の中を歩いていきます。

谷に下り、Raspille川を渡ります。

対岸を眺めたところ。南北にのびるそれなりに深い谷。

橋を渡ると、すぐブドウ畑。この写真は11月中旬の午後ですが、霜が白く地面に残ってますね。そして上には妙な形の岩のようなもの。

このピラミッド(と呼ばれることが多い)のすぐ横を通った時に見たところ(そこまで斜面を上って行くということ)石灰岩の岩肌が長年の浸食作用でこのような形になったようです。この様な形に浸食された岩はそれなりにあちこちで見かけます。

再び視界が開けて一面のブドウ畑。Salgeschの町に入ります。Raspille川の東側はドイツ語圏。Salgesch(サルゲッシュ)はドイツ語名で、フランス語だとSalquenen(サルケネン)。言語境界線は現在はここらあたりになってますが、太古の昔からそうだった、というわけではありません。谷はそれなりに深くて急ですが、橋がそれなりに架かっている方ではないでしょうか。それでも地名がフランス語調からドイツ語調に変わって面白いですね。

Salgeschの町の古くからの建物は西側にかたまっていて、鉄道駅は地図の東下端。

中心部にMusee valaisan du vin、ワイン博物館はSierreにもありましたがSalgeschにもあります。建物は町出身の考古学者Gottfried Zumoffenの旧居。Sierreのもそうですが、冬期は閉館。

2013年

すっかり忘れていましたが、この博物館には2013年にも来てました。これはその時の写真です。収穫したブドウを入れる木製の背負い桶。

現在の博物館がこの背負い籠がカラフル、ポップに飾られていてなんだかなあ。

2013年

桶自体すごく重いのに、40~50キロのブドウを入れて、あの斜面を運ぶ。牛やロバで運んでた時代の写真もありました。急斜面の作業の大変さは今も変わらないけど。

博物館の向かいにあった像。マルタ騎士団の聖John。1235年、Salgeschにはマルタ騎士団が駐留、巡礼者と旅人を保護するための旅籠と教会堂が建てられました。Salgesch市の紋章は黒字に特徴ある形の白十字。マルタ騎士団の旗は同じデザインで色違い、赤地に白十字です。

Salgeschのブドウ畑の面積は203ヘクタールで40以上の醸造所があります。

しかし意外にも、ワイン醸造、ブドウ栽培が盛んになったのは第二次世界大戦以後。それまでは普通に農作物。しかし現在では一大ワインの名産地となっており、

駅まで行く途中にも本当に沢山のワイン醸造蔵がありました。

こちらは学校建物。駅まで歩いて電車に乗って帰ります。

Salgeschの線路を挟んで南側にはPfynwald(独)/Foret de Flinges(仏)という松の森があり、この森から北側の一帯にかけて自然保護区になっています。Salgeschにはこの保護区のセンターらしき建物がありました。1799年、ドイツ語圏側のValais(Wallis)がフランスとヘルヴェチア共和国の連合勢力への反乱を起こしましたが、その舞台になったのがこの森です。また、かなりどうでもよいネタですが、スイスのテレビSRFで2021年から放送されて大ヒットした刑事ドラマTschuggerの主人公・脚本を書いている人はSalgesch出身でPfynwaldでのバカ騒ぎから事件が始まり、ドラマ中Valaisの景色がジャンジャン出てきます。

歩行と写真は2024年11月中旬

Salgeschのサイト:

https://salgesch.ch/

Salgesch周辺のハイキングコース案内:

https://salgesch.ch/fr/experience/randonnees/

Pfynwald:

https://pfynwaldpfyn-finges.ch/en

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