Jougnena(5)Jougnena川の水力による製鉄・鍛冶

Jougneの町は緩やかな斜面に広がっていて、着いたのは坂の一番下。後ろから見た教会を今度は斜め前方から。他にはホテル&レストラン、レストラン、パン屋などがあります。見慣れたスイスの古い町と比べると家々の間隔が広く、疲れた体に上りはきついのであまり歩き回らずに帰ることに(ここまで2時間半くらい)

教会のそば、郵便局の隣にはベンチもあり、スイス方向を見渡せます。郵便局の建物は元は税関。また郵便局の向かいにはSalle de Fetes、自治体のホールがあり、19世紀半ばに建てられた通商荷物を仮置き・検査のための建物でした。フランスの町に欠かせない、自由のために戦った人たちの顕彰慰霊碑、のすぐ後ろにある階段を降りて

テニスコートのそばを通るのが緑の太線、指定ハイキング道

なるほどピンク色で描かれた車道のすぐ横、下にはこのような線路跡の道が続いていました。私がTavinsから歩いた道よりは木々の影になって涼しいかもしれませんが、特に見るべきものがあるわけでは無いです。

途中からMoulinへ下ります(ハイキング道を自主的に外れるので表示はありません)

Moulinの集落に下りました。ここから再びハイキング道の表示を見つけ、川の方向へ。

Pisciculture、養殖池、釣り堀。Truite=鱒が釣れるらしい。販売も。

Moulin=水車。Jougnena川の水力を利用して製粉や製材が行われていました。Les Maillotsの集落に入ると、Rue des Forges=鍛冶屋通り。周辺の鉱山で採れる鉄鉱石、燃料の木炭を産出する森、川の水力を使い、Jougnena周辺には製鉄→鍛冶屋→スコップ、つるはし、鎌、釘、と次の産業へとつながり栄えました。

家がポツンポツンと途切れなく続き、鍛冶屋通りは「La Ferrière=鉄鋼窯」の集落へ。

古そうな家もあったけど、新築途中の家も相当ありました。この集落中心から少し外に出た先、大掛かりな集合住宅の建設現場があり、その過程で外されたのだろうか、

池の横を通る小道への道標が無かった(赤の矢印の地点)!このように草の中の小路を行くのですが、家の新築が著しいので数年後には随分と変わっていそう。

細長い水辺の横を歩きます。反対側の舗装路をずっと歩いたとしても特に問題はありません

2つの池が連結しているので橋で渡ります

1800年、FerrièreではVandel家創業の製鉄産業が最盛期を迎え、関連する金属加工業が周辺のJougnena川流域に次々と生まれます。Vandel社は北にあるPontarlierにあった企業を買収し、スイスのVallorbeとBrassusにも工場をつくります。しかし1000年の歴史を誇り、最盛期には400人が働いていたJougnena地域の製鉄・鍛冶産業はロレーヌ地方での製鉄に取って代わられます。Vandelは1890年、170人のJougnena住民を連れてイタリアに移ります。その後のベルエポック時には一時期盛り返しますが1930年の不況には耐えられませんでした。

池から離れ、道を少し行ったら、すぐにまた左に方向を変えます。

柵がありますが気にしない。柵の両側は開いています。

草の細道から緩い斜面の森の中の小路をどんどん上り

草地に出て、フランスの牛に挨拶をしたらLes Echampesの集落はすぐ。

Les Echampes、かつての鉄工場の建物はほとんど残っていませんが、この数十年来、空前の建築ブームが到来。住宅がどんどん新築中。フランスに住んでスイスに働きに行く人達のための家。毎日国境を越えて通勤・通学するのが不思議に思われるかもしれないですが、東京の家賃が高いから隣の千葉や埼玉から都内に通うのと同じです。シェンゲン協定により協定加盟国間では人と物の自由な行き来。スイスでは狭いし家賃が高すぎるけどフランスでなら庭付きの大きな家に住める。また、MetabiefからMont d’Orにかけてのスキー場開発。Jougnena周辺の産業構造は大きく変わりました。

歩行と写真は2023年8月中旬

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