前回、教会(赤矢印)から小路を通り南下、建物が密集する旧市街を出ました。
Martignyの街中には表示板が多数設置されています。旧市街の中を通る「Parcours Bourg」は70番のVia Francigenaとも共通しています。この先Fondation Pierre-Gianadda、Amphitheatre(屋外劇場)に向かいます。
道は公園のような緑地の中に入り、
右側にはDomus Minerva。
ローマ帝国の時代、ここは街の中心地で800平方メートルに及ぶ広大な庭付き邸宅がありました。今は解説パネルが並んで、中は小さな穴から覗くだけですが(入場見学はガイドツアーでのみ可能)
2019年に行ったときはこのように中が見える状態でした。この先の写真は2019年10月。
発掘された遺跡の上をコンクリートの屋根で覆って保護。Martignyに残る多くのローマ帝国時代の建築物は、西暦4世紀末に町が衰退するとともに長らく放置され、16世紀とか19世紀になって家を建てようとする際などに発見され、それから本格的に発掘調査や保存作業が始まるのは意外にも最近になって、1970年代終わりからがほとんどのようです。
Domus Minervaの先
背後の青白の建物はアイススケートリンク。その前にローマ帝国時代の建物の跡
近寄ると深さあり。以前通ったMassongexと同様に、Martignyも紀元前5世紀頃よりケルト人、Veragnes族の国Octogurus(8つの扉の意味)の都でした。
Octogurusの名は紀元前57年、ユリウス・カエサルが率いるローマ軍が現在のフランス・ベルギー・スイス辺りを制圧するためのガリア戦争中のOctodureの戦いで書物に登場します。
Veragnesの軍はSedunes(現在のSionのケルト人)と協力してカエサルの軍を攻撃するも攻め落とせず。
その後ローマ属州となり西暦1世紀前半に形成された町は、Claude帝にちなみForum Claudii Vallensiumと名付けられます。
遺跡公園を抜け、Fondation Pierre Gianaddaの近くにTepidarium。
公衆浴場の跡。当時は蒸気風呂、ぬるま湯、冷水と3種の浴場があり、ということは今のサウナ付き浴場ですね。ここのはぬるま湯浴場。屋根で守られていますが道路沿いでいつでも眺められます。
写真と歩行は2019年10月末、2024年4月初め
考古学遺跡マップ:
https://www.gianadda.ch/a_decouvrir_aussi/martigny-la-romaine/
Martigny観光サイト:
https://www.martigny.com/en/?gt-reset
Martigny市の遺跡サイト:https://www.martigny.ch/fr/sites-archeologiques-527.html
Octoduro協会サイト:https://www.pro-octoduro.ch/