川の両側に斜面が迫っています。線路は城がある山の中に、対岸を走る高速道路(オレンジ色の線)もやはりトンネルに入る、そのくらいとても狭くなっている所。
Chateau(城) de St-Maurice(標高483m)のすぐ右にトンネルの入り口。右上に視線を移すと見張り塔。
城への緩やかな上り坂。城は11月中旬~3月中旬は冬期休館ですが、城の横を通る道は問題なく歩けます。
その昔、St-Mauriceはローマ帝国の一部でした。ローマ軍にとって、グラン・サン・ベルナール峠を通って北ヨーロッパを攻略するためにはSt-Mauriceは最重要軍事拠点でした。また南北の通商拡大に伴い、中世12世紀には川に橋が架けられ、Via Francigenaの巡礼道が華やぐことになります。
1476年、ブルゴーニュの戦いで、Valais州の東側勢力とSion(シオン)の大司教の連合はサヴォイ候が支配していたValais西側を制圧。ベルン勢力に対する防衛から境界線となったローヌ川にかかる橋には戸がつけられ城壁が何世紀にもわたって拡張され、さらには要塞としての「城」が建設されました。
元々の城は1693年に焼け落ち、今見られるのは1697年に早くも再建されたもの。
その後、現在の「スイス」となった19世紀、Dufour(デュフール)将軍は年間を通して通行可能のSt-Mauriceを防衛の要と考え、両岸の高台を含めての要塞化に着手します。
城から川の反対側に広がる丘の一面にFortification(要塞)を建設します。
橋を渡ってかつては要塞があった場所は、現在はハイキング路になっています。
写真以外にも、建造物の跡が残っていますが、意外にも周囲に溶け込んでいてそれほど目立たない。要塞だから表面にはそれほど出てないのか?
ところが、19世紀も終わりになるとDufour要塞(Fortification d’Arzillier)では対応できなくなります。馬に乗った騎兵隊の時代から戦車、飛行機で攻めて来るかもしれなくなったし、一方、武器の性能、飛び道具の飛距離が大幅に向上したこともあり、
20世紀になると、川岸からすぐの低い丘の上ではなく、視界が効く、高度のある場所に対戦車砲を備えた要塞が次々と建設されます。Forts de Dailly, Savatan、Fort de Cindey、Forts du Scexといった要塞です。写真はArtillier要塞があった台地のてっぺんから。中央の青いのはローヌ川と川にかかる橋。低いとはいえ見張り場所を兼ねているので当然の見晴らしのよさ。この先、ブドウ畑の中を通ってBexに続く道は歩き易くとても気持ちの良いコースです。
写真と歩行は2021年2月初め、2013年6月、2024年2月初め
サン・モーリス城のサイト。現在は春から秋にかけての開館で展示スペースとなっています:
https://www.chateau-stmaurice.ch/site/
サン・モーリス公式観光サイト。かなり充実してます:
https://www.saint-maurice.ch/tourism/homepage.html
その中からDufour要塞を回るハイキングコース:
https://www.saint-maurice.ch/tourism/dufour-fortifications-route-47.html
その中にある「要塞」のページ。見学はグループでの申し込み:
https://www.saint-maurice.ch/tourisme/forteresses-historiques-56.html
スイスの歴史的「要塞」のサイト:
https://forteresse-historique.ch/
その中から城について。ものすごく詳しい。
https://forteresse-historique.ch/1472-chateau-de-saint-maurice/
https://forteresse-historique.ch/visite-parkin-fortifications-dufour/