Via Francigena (59) Rocheには製塩所があった

ハイキング道表示はそのまままっすぐ行くようになってますが、

右手に目に入るのがこの建物。地図では「Les Salines」との地区名があり、その中に教会と「Chateau」とある所。通りの名はRue des Salines。「Salines」は塩水、製塩所のこと。

塔のある教会の手前にある白い大きめの建物。扉の上には

1582 Les Salines 1997 とあり、1582の数字の上にはクマ、ベルンの紋章。1997の上にはRocheの町の紋章。この建物は1582年、ベルンの支配下で始められたSalines=製塩所だったんですね。1997年の意味はわからないけど、建物が改修されたか自治体の管轄になった年かしら?

Les Salinesの文字。塩を含む水を輸送管で運んで、煮たてて水を蒸発させて塩を精製する苦労についてはフランスのArc-et-Senansの製塩所と塩鉱山への旅でもおなじみ(Via Salinaのタグから読めます)。

1554年、Rocheから南東にあるPanexで塩鉱が発見され、1582年にRocheに製塩所がつくられました。標高900mにあるPanexからは12㎞の木製の輸送管を通って、Aigleまで500mの標高差を下り、AigleからRocheに運ばれました。製塩はPanexの南にあるBex(ベー)の塩鉱山が本格的に稼働し始め、Panexが衰退する1730年まで続けられ、その後1798年までは塩の保管管理場所となりました。

元製塩所の左手には広々とした緑地があり、果樹が相当数、植わっています。注意書きがあり、Roche住民に限り果物を採って良し。重量制限もあったな。奥にはChâteau de Roche、またの名はMaison des Saulniers

シャトー(城)と言っても大きな建物程度のこんな感じ。当時、白い金と呼ばれた塩を管理する人の館でした。

精製された塩の一部はVilleneuveの港から出荷されました。

元製塩所の向かいには学校。元々は塩関係の建物だったのを19世紀に学校に転用。

戸の周りを本のモチーフが舞っていて、いつ見ても素敵。

車道を挟んだ向こう側に、新しい学校校舎もありますが、こちらの建物も学校として現役。

何故Rocheに製塩所をつくったのか?それは塩水から水を蒸発させるために必要な大量の薪をRocheの上に広がる森から得るためでした。VilleneuveからRocheまでEau Froideという流れ沿いに歩いてきました。Villeneuveからはレマン湖に注ぐEau Froide、その源流はRocheから北東に伸びる谷の遥か上方にありました。

Rocheの標高は380m程度。1695年、Eau Froideの上流、標高1297mにあるJoux-Verteにダムがつくられ、Eau Froide流域で伐られた木は流れに乗ってRocheまで運ばれました。

白い建物がChateau。その手前の果樹が植えられている緑地から見ると、谷の両側に木が伐採されたままの山肌が広がっています。

Eau Froide沿いの谷をさかのぼり、Joux-Verteのダム跡まで往復6時間、ハイキング道表示がついています。標高差900mかあ、上りは良くても下りがきつそう(膝痛怖い)。

Rocheの町はサンベルナール峠への最短路上にあるため、古代ローマ帝国時代には軍用馬が駆け抜けた軍用路が通り、その後も商業路、ローマへの巡礼道上にありました。15世紀にはサンベルナール峠にある修道院によって巡礼者の宿泊所が建てられ1853年まで修道院の所有でしたが現在はオルガン博物館Musée Suisse de l’Orgue。開館は5~10月のみですが、コンサートもあります。住所はRue Saint Bernard(サンベルナール通り)!

Roche自治体のHPからRocheの歴史:https://www.roche-vd.ch/N231/histoire-de-roche.html

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