Via Salina (11) ちょっと高台へ散歩

1854年には湧き出る塩湯を利用した最初の温泉施設が町の中心につくられ、1857年には今でもある鉄道駅MouchardとSalinsの間7.5㎞を鉄道が開通しました(今は廃線)。1890年には湯治に来るお金持ちのためにカジノが出来、1926年にはそれまでSalinsだった町の名にBains(湯)の名を足しSalins-les-Bainsと改名。カジノと言っても賭け事だけじゃなく、レストランや劇場が楽しめる昔は随一の社交の場で今もあります:https://le-sensso.fr/

さて、町の東側の斜面を登ります。東側には何本も小道が出ており、適当に選んでもすぐに急坂や階段になります。

塩鉱山と製塩所で繁栄、中世にはFranche-Comte(フランシュ コンテ)地方で2番目の8500人の人口規模(ということはブザンソンの次ってことか!)でした。

Furieuse川の水力を利用して石膏採掘や木材加工、陶器の製造が行われていましたが、これらの産業が20世紀後半には次々と衰退。現在の人口はは僅か2500人・・・

Saint-Anatoile教会。13世紀の建築。正面に見晴らしの良い広場とベンチがありました。

町を挟んで反対側の斜面(町の西側)のてっぺんには見張り用の要塞Fort Saint Andre。標高604mに位置しています。紀元前からの見張り場所。製塩所を守ることを目的に1255年に最初の建物がつくられ、その後Franche-Comte地方がフランス王国に属するようになると、ルイ14世の命でもっと強固なものに、1674~1679年にかけて建て替えられました。1814年にはオーストリア軍に占拠され、その後のプロシア軍は撃退したものの第二次世界大戦中はドイツ軍が占領。現在はパーティーやグループでの宿泊に貸し出し。見学ツアーもあり(要事前予約)

町の東側の斜面にも要塞Fort Belin(標高584m)があり、こちらも同時期に建てられました。1814年にオーストリア軍によって損壊、1828年に再建されましたが19世紀末にはほぼ役目を終えました、こちらはずっと小振りで現在は私有建物のようです。

街中にはHotel des deux forts、「2つの要塞」という名のホテル。

Arc-et-SenansからSalins-les-Bainsへ公共交通機関で行く場合、Arc-et-SenansからMouchardまで鉄道、Mouchard駅からは一日5本のみのバス利用となります。Port-Lesney、そこからRennes-sur-Loue、La Chapelle-sur-Furieuse・・・懐かしい地名!細い青線で描かれた2本の川に沿った塩水輸送管がどんなに遠回りをしていたか。

Salins-les-BainsとMouchardの間のバス(TER)の時刻についてはこちらのTER以外でも世界中の公共交通機関の時刻が出てくるサイトから調べられます:

https://www.rome2rio.com/

私はSalins-les-BainsからバスでMouchardへバスで行きました。事前にバスの時刻と発着地を調べ、観光案内所に寄ったときに一応確認しようとしたら、さあ大変。案内所の方はバスの存在を全く知らなくて、それでもすごく苦労して時刻表を倉庫の奥から掘り起こしてきて、バスが出発する場所をテキトーに、でも自信満々に嘘情報を教えてくれました。遠くに見えるバスを待ち構えて思いっきり手を振ったおかげで違うバス停だったのにもかかわらずバスは停まってくれましたが、あの本数の少なさで危なかった。バスはPlace des Vieilles Salinesから発車します(2023年4月情報)。ホテルにしても観光案内所にしても、車以外でのアクセスを全くと言っていいくらい想定していないので(Grande Salineの公式サイトでの公共交通機関でのアクセス情報もMouchardからはうやむやになっている)電車バス利用者には色々と厳しい!

次回からはスイス紀行に戻ります。

写真と訪問は2022年8月下旬

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