こちらはロングトレイルVia Suworow 170km、アップが7700mで下りが8100mのロングトレイル。
Suworow将軍はロシアから軍を率いて現イタリアのミラノに1799年の秋に入り、そこから現在はスイスのTicino州→Monte Ceneri峠→Leventina谷→ゴッタルド峠→フランス軍と戦ってからAltdorf→Pragel峠→Sernftal→Elm→Panixer峠→グラウビュンデンへ、幾多の峠を越え、さらには当時の同盟国オーストリアからロシアに戻りました。
私が歩いて今まで記事としたところでは、Gottardo峠にある銅像、Gottardo峠に向かう前の難所「悪魔の橋Teufelsbrücke」にフランス軍との戦闘を描いたプレートがあります。
Elmでは10月5日の晩に一泊しています。次の集落Pignusまでは、標高2400m超のPanixer峠を越える必要があり、現在のハイキング道の参考所要時間が8時間以上。そこを2万人の兵士、馬1000頭と装備やらを引いて越えたのですから大変だったろうなあ。
初冬に峠越えする兵隊側も大変だけど、家の前を通られた側も大変だったろうなあ。第一、Teufelsbrückeはこの時のフランス側との小競り合いで壊れたそうだし。
写真はElm町内を縦断する道。町を縦断するというか道に沿って並ぶ家々が町を形成しているというか。Suwarow将軍が泊まった家の壁にはプレート。その向かいには前回の最後の写真、Suwarow像。
Glarus州はUri州の東隣。Gottardo峠、Teufelsbrücke、Altdorf、そこからPragel峠を越えてVia Suwarowが続いています。
なぜ外国軍が通った跡にプレートとか銅像を建てて記念して、ハイキング道として整備しているのかすごく不思議だったのですが、どうもこの将軍に対して沿線のスイス人は親近感を持ってるようなのです。
ロシアという国そのものに対しても、アメリカ一強への反感からか、その文化を愛する人たちも私の周辺には沢山いました。
私が住んでるフランス語圏スイスにも20世紀以来有名無名大勢のロシア人が亡命していたし。しかし、2022年2月24日以降、その親愛の気持ちがすべて吹っ飛ばされてしまった、という知人もいます。
それはともかく、次回からVia Suwarowのごく一部、しかもとても平坦なElmからSchwandenまでを歩きます。
なお、Suwarow、Suvorow等スペルが何種類も存在します。そもそも元はロシア文字で綴られた名字を発音からアルファベットに置き換えたわけですから。ご了承ください。
キャプションが付いた写真以外はElmの通り(2021年8月下旬)