Losanna, Svizzera ローザンヌのイタリア移民150年(1)

ローザンヌの歴史博物館で開催されていた特別展「Losanna, Svizzera ローザンヌのイタリア移民150年」に行ってきました。(Losanna, Svizzeraはローザンヌ、スイスのイタリア語表記)

当ブログではこれまで数々の鉄道について書いてきました。1870~1915年にかけて、スイス各地で線路とトンネルを悪条件の中で完成させた労働者の多くをイタリアから来た人が占めていました。

Lausanne クリスマス市に今年は観覧車登場。右側の明りは大聖堂。しかしこのパンデミック下の客足で採算とれるのか心配

Lausanne(ローザンヌ)があるVaud州は1803年にベルンの支配から独立しました。1840年代から州都として大型の建物が次々とつくられ、それを担ったのがやはりイタリアからの移民。

Lausanne市街(2021年12月)

1931年の連邦法で決められたのが、「年に9か月以内の季節労働者」「仕事と移住先の途中変更不可」「滞在できるのは働く本人のみで家族の呼び寄せ不可」。先週スイスのラジオで偶然日本での「労働研修生」について話していて、ああ似た部分があるなあ、と思った次第。

博物館に展示されてたLausanne市街のジオラマ。街中を結構な深さの谷が数本通っていて、ここに長短の橋が架けられた

「季節労働者」用の滞在(労働)許可証がLivret (Permis)A、2004年にスイスがシェンゲン条約に加盟するとヨーロッパの多くの国々の住民がスイスに自由に滞在・働けるようになり、Livret (Permis) Aは廃止されました。

Grand Pontは高さ13mで1839~1844の建設。Lausanne市内の谷をまたぐ交通の要所(写真は2019年12月のクリスマス飾り)。他には高さ23mのPont Bessieresが1910年の完成。

ついでながら、現在日本からスイスに3か月以上の長期滞在をしようと思ったら、学生としてどこかの学校に受け入れられるか、どこかに雇われて滞在許可証を発行してもらうなどが必要で、その時もらえる許可証がまずは一年更新のPermis B。5年以上居続ける(働き続ける)とCに格上げされるかも。

Lausanneの大聖堂 桜満開 2019年3月

第二次世界大戦後の経済復興からスイスでは人手不足。1948年にはスイスとイタリア間に新たな協定が結ばれ、一定期間ののちには家族の呼び寄せができる滞在許可証への切り替えが可能になり、かつてない数のイタリア人とその家族がスイスに。ローザンヌでは、建設、レストラン&ホテル、工場が3大雇用先ですが、地方に行くとブドウ畑をはじめとする農業関連も多いです。

Grand-Pont(大橋)では大改修工事が2022年にあります。こちらが現在の公共交通機関路線図。ほとんどのバスが橋を通ってBel-AirとSt-Francois間を走ってますが、

1960年代から始まったローザンヌ市内と周辺の近代的な建物、高速道路、学校に病院はイタリアからの労働者によりつくられました。「もし橋や建物がしゃべれるのなら、イタリア語で語るでしょう」

2022年1月から11月まではこんな感じ・・・濃いピンクの線は地下鉄

ホテルやレストランなどの接客業を支えたのもイタリア人。Lausanneで最初にピザ屋ができたのは1957年。1988~2008年の20年間にオリーブ油の輸入量は10倍に。現在ではもっと労働力の安い東欧に生産の拠点が移りましたが、昔はスイスにも数々の手工業の拠点があって、そこでもイタリア人が多く働いていました。

こちらはモントルーのクリスマス市ですが、モントルーでもこの夏、20世紀初頭に建てられた大型建築物のほとんどはイタリア移民の手による、という展示をやってました

Musee Historique de Lausanne(ローザンヌ歴史博物館)

https://www.lausanne.ch/vie-pratique/culture/musees/mhl.html

Losanne Svizzera(ローザンヌ スイス のイタリア語表記)展は2022年1月9日まで

https://www.lausanne.ch/vie-pratique/culture/musees/mhl/expositions/Losanna-Svizzera.html

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