Eclépens セメント採石場と未完の運河(2)

Eclépens駅の東側。赤色の湾曲した線が運河の跡。

前回のセメントは現代の生活に欠かせないもので現在進行形の話ですが、Eclépens駅の反対側に静かにあるのは未完の運河。以前からしつこく書いてますがヨーロッパの南北を縦断する通り道にあるのがスイス。これまでスイスの中南部の山を抜けてく峠道を中心に書いてきましたが今回はスイス西部の水運!

駅から15分で丘と運河への分岐。右に行って平行に崖の印がついている間が運河

Canal d’Entrerochesは「岩の間」の運河の意味。Neuchâtel湖とLéman湖が運河で結ばれるはずでした。ここが完成すれば北海から地中海へ、ライン川とローヌ川が水路でつながる。日本でもそうですが、鉄道と車以前は水運輸送が大量輸送には最適でした。本当に大量だったら今でもそうですね。ああスエズ運河。

ということで話を持ち込んで資金の多くを出したのはElie Gouret氏。彼はフランスから迫害を逃れオランダに移り住んで財を成したユグノーでした。

運河の幅は5.28m、2.93m深。現在は必ずしもそれにあらず、としてもそれなりに残ってます

予算はオランダが最大の19%を、フランス、ジュネーブ、ベルン(当時運河予定地のVaud州はベルンの支配下)が残りを分け合い、1638~1640年の間にYverdonとOrny間が完成。しかし1648年から始まったOrnyとCossonay間が難航、8.4㎞を掘るのに8年間・・・

石積みの壁

1664年、Morgesまであと12.5kmのところでGouret氏が破産し以降は陸路輸送に切り替えました。その後190年間(!)に渡って25㎞が運河として機能していましたが1829年の嵐で決壊。時を同じくして鉄道が登場し運河は役目を終えました。Mormontの丘に鉄道トンネルが掘られ、その残土が運河を埋めたこともあります。

運河跡の横を歩く道がしつらえてある

運河の幅は5.28m、2.93m深。Eclepensの駅から行くと、入り口に説明パネルが設置されています。

ちょっと埋もれ気味

また運河の先には2本のトンネルの間に一瞬顔を出す線路と昔の線路番の小屋だったかも?な建物を見下ろせるポイントがあるなど鉄道見学的にもなかなかに楽しめます。

YverdonとMorgesの間、2つの湖を結ぶ運河計画 EclepensがあるのはLa Sarrazの東

Eclepens以外の運河跡はどうなっているのでしょうか?YverdonからCossonayまでは完成していたのですよね?

地図で眺めて探してみました。ある程度拡大しないとCanal(運河)の文字が出て来ないのですが、右上のYverdon-les-Bainsから南西にまっすぐに、Canal Oriental(東)とCanal Occidental(西)の名が見えますね。なんで2本もあるんだろう?運河は結構あちこちで見受けられるのでCanalといっても必ずしもこの関連で掘ったのじゃないのかも(この辺りは私の想像ですが)。南側のOrientalのほうが南への流れにつながっているようにも思われるけど。

Orbeの手前で方向を南に変え、そのあとのOrny(ここまでは2年で完成した)までまっすぐにCanal d’Entrerochesの名が見えます。Ornyまでと言っても町とはだいぶ離れてますね。し

そして運命のMormontの丘の北。ここで丘とはいえ、それまでの平地とは違う地形が登場か。Entrerochesと書いてあるところで進行方向を東へ。そういえば、ここを歩いたときに昔の税関建物の表示があって何のこと?と思ったことを今書きながら思い出しています。近くまで行ってもよくわからなかったけど、Entrerochesにあったのかな。いつかまた行ってみたい。

歩行と写真は2017年10月中旬

Canal d’Entreroche(Entrerocheの運河)

https://torpille.ch/listing/canal-dentreroches/

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