Cevio (3) CevioからRovana caraaとcarasc

Grotto巡りも終盤。出発地点の博物館まで一周してもよいですが、私は南端から斜面を降りました。

地図上、Cevio Vecchioの文字の左が教会、その下の隣り合った二軒が博物館。Cevioの太文字があるのが1920年代にできた病院。博物館になっているFranzoniの家は他の家に比べると大きいですね。

博物館から左手の斜面のGrottoをたどって南に歩き、Cantone di Sottoとある辺りに下ります。

Cantone di Sottoからはハイキング道表示(地図上黄色線)に従ってPalazzo Pretorio(紋章が沢山描いてある建物で地図上でもわかる大きめの建物)からさらに南下。

この時に舗装路ではなく細道を通ります。この細道はLe caraaと呼ばれる両側が石を積み上げられた壁で囲まれ、場合によっては敷石も敷かれている小路。昔からの道で家々をつないでいます。

こんな感じでもあります。

家が密集しているところを抜けて、山肌を歩きます。この地方もまた、Ticinoの常として昔から栗を重要な食料としてきました。多分、この林も栗の木でいっぱい。樹齢何百年とかの。

Cevioを振り返ったところ。

Rovanaに近づいてきました。Rovana川と橋(Ponte della Rovana)と教会。橋はおそらく1800年初めの建。この先、西に延びるVal Rovanaへの道はこの橋が必須なので橋の維持補修はこの先の谷の村々からの支援を受けていました。Rovanaの集落は洪水を避け斜面にへばりつくように家々が建っています。幾度もの大水に耐えてきた橋は1978年の大水害まで持ちこたえてきました。

橋から見たRovana川。Rovana川はこの先すぐ深い深い峡谷に入ります。

こちらはRovanaの教会。1615年のバロック建築。Franzoni家により、建築当時のまま改築なし。内部は次回。

この地方の特徴は「石」。石壁に囲まれた小道caraaに続いて、片麻岩の一枚岩で作ったブドウの木の支柱がcarasc。石でできたブドウの支柱。Via Gottardo道中でも見られましたね

今日の歩きはここでおしまいですがCevioとその周辺図。MaggiaとRovanaの二つの川の合流地点の中州がCevio。Cevioから西にRovanaの川と谷が続きます。Cevioから西にクネクネ道=急斜面をバスでLinescioまで行って泊まりました。スキーリフトのような直線は高所で家畜を飼育したり耕作するのに必要な荷を上げるためのリフト。相当高いところまでつないでますね。赤の線は山道ハイキング道。黄色線が(どちらかというと)平坦な道のハイキング道。

私は行かなかったのですが、Rovanaの橋から10分でBoschettoの集落があります。氷河期のお終いに土砂が堆積して形成された土地で自然の力と人の力による村。村周囲は以前はブドウ、穀物、野菜が栽培されていました。土地から石を一つ一つ取り除いて耕した土地でした。大変に古い建物が残っており、一説によると1700年代から変わらぬ街並みとか。

Rovanaからのハイキング表示板。CevioへもBoschettoへも10分程度

写真と歩行は2014年5月上旬

https://www.invallemaggia.ch/files/invallemaggia-sentieri-di-pietra-boschetto.pdf

私が大事にしている紙での集落を歩くガイド、現在サイト上でダウンロードできます。画面を下にスクロールして→The soapstone in Vallemaggia以降→の後の各行をクリックでダウンロードできます。

https://www.ascona-locarno.com/en/what-to-do/hiking/stone-paths

あるいはこちらからも同じものがダウンロードできます(ただしイタリア語のみ):https://www.invallemaggia.ch/it/sentieri

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