峠とは、山のあちら側とこちら側をつなぐ場所、上りが下りに変わる箇所。往々にして峠を挟んで天候が急変したり、州境、県境になってることもありますが、Gottardo峠の場合、州の境界は峠からそれなりに離れたところにあり、峠は丸ごとTicino州に属しています。
Gottardo峠の北側Uri州側は、なだらかな登りで危険な個所はありません。南側、Ticino側はむしろ斜面が急で、石畳のくねくね道Tremolaが堪能できます。
Gottardo峠はBaselとChiassoをほぼ最短距離で結んでいるのだけど13世紀まではメインの通り道ではありませんでした。それは峠の手前に難所があったからで、Gottardo峠の重要性が認識されたのはこの難所に橋、1230年位に木製のTwärrenbrücke、1595年には石造りのTeufelsbrückeがかけられてからのことです。
くどいですが、他にも幾らでも峠はあるわけで、多少距離が短くても危険だったら主要道、通商の道にはなりえないのです!
Via Gottardo、長くなるのはわかっていたので連載するのは躊躇していました。ところが、私がスイスに住んでいるというので知り合いがとある漫画をくれ、この漫画が問題だった!表現の自由は認めるけど、もうどこから突っ込んでいいのかわからないくらい無茶苦茶なのに、罪深いのは所々に実在の地名や地図、○○の戦いといった年表が出てくる(その背景は事実と反している)のでちょっとは史実かと勘違いする人がいるんですね。
ちょっとネットで調べればわかりそうなもんだが、いや、あの漫画は罪深い。その漫画ではゴッタルド峠に城を兼ねた巨大な関所があってハプスブルグからの狂人がTicino側に逃げようとする者を片っ端から処刑しているというグロさ。いやあ領民は生かさず殺さず上手に働かせなければ、と思うが。
第一こんな辺境の地に兵力常備するほどハプスブルク暇じゃねえ。で、ハプスブルクからの独立を目指す三州(閉じ込められていて外部に出られないことになってるんだが、山岳地帯って現在のアフガニスタンでもそうだけど「閉じ込める」のって大変だよね)の若者が危険を賭して峠越えを試み、自由の地イタリアを前に捕まり、峠の先の太陽と果物を夢見ながらばたばたと死んでいく理不尽さ。
峠の向こうにいきなり明るい太陽が輝いているわけではないのは本連載をお読みいただいた方にはお判りでしょう。イタリアンな気候になるのは随分先。
どうも峠を箱根の関所(厳しい取り調べで出女・入り鉄砲阻止!)と野麦峠を混ぜてんじゃないだろうか(雪で危険な道を女工たちが通って行った様、昔映画で印象的な、ああ野麦峠・・・)。
それに他に産業がなかったスイスが周辺国に傭兵として出稼ぎに行ってた過去、永世中立国でかつ現在でも男子皆兵だとか地下に核シェルターを備えるのが義務だった過去とか、そんなイメージの混合か?まあ私のブログなんて漫画に比べたら影響力全くないですけど、それでも私は私のGottardo峠について書きたかった。書かずにはいられなかった。
この総まとめの感想は次回に続きます。今日の写真は「そしてミラノ」。2014年の4月末、Via Gottardoの最終部分、連載54回目のGiubiascoから歩き始める直前に行きました。ミラノは壮大だな~大都会だな。ここを見た後だったので、ミラノに比べるとMendrisioやChiassoの旧市街はずーっと小さいので写真撮る量が少なかったのだろうかも。