スイスにおける宗教事情。1517年にヨーロッパ世界を揺るがした事件がルターの宗教改革。早くも1519年にチューリッヒの聖職者だったZwingli(ツウィングリ)がルターに賛同して運動をおこします。なんでも謝肉祭の期間中に教会でソーセージを焼くというスキャンダル(パフォーマンス)を行い、ご婦人方が卒倒したそうな。
その勢いは近隣州にも広がり、結果としてプロテスタントに改宗する州も、カトリックに残る州も、巻き返しがあった州も、州内で両者が半々のところも。スイスって旧教と新教がモザイクのように共存している割と珍しい国だと思います。
そうは言ってもカトリックとプロテスタントの違いとか確執が原因で州が分裂した例としては:
Appenzell(アッペンツェル)は元々人口の少ない小さな州ですが二つの準州、外側と内側に分けれています。これはカトリック、プロテスタント、それぞれを選んだ市町村が地域的に真っ二つに分かれていたからです。スイスの北東の端。
Jura問題は以前書いたように複雑です。Jura Historique(歴史的にジュラ)に属していたが、その後Bern(ベルン)州に併合された7つの地域のうち、カトリックでフランス語を話す3つ(Delemont、Porrentruy、Franches-Montagnes)は1975年にJura州として分離独立しました。Bern州はプロテスタント&ドイツ語の勢力が非常に強く(今でも!)、彼らは少数派でした。
Courtelary、La Neuveville、Moutierの3つはフランス語圏ですがプロテスタントが強いのでBernに残りました。(しかしMoutierはいまだに離脱か残留かでもめてるのですが)残る1つ、Laufonはドイツ語でカトリックで、最初はBernに残ることを選びましたがBernから切り離された飛び地ということもあってか、1994年に境界を接するBasel-Landschaftに所属を変えました。
またカトリックのFribourg(フリブール)とプロテスタントVaud(ヴォー)の2つの州の境界線間で連続する飛び地の存在は、各村が宗派によりどちらの州に属するかを決めた名残でしょう。
こうして書いていると、町ごと、集落ごとにプロテスタントとカトリックがきっぱり分かれているように思われるかもしれませんが、現実には相当小さな町でもプロテスタントとカトリック両方の教会(他の宗派も)があることは普通です。
それでも一昔前は両宗派間では結婚できなかった(周りが許さなかったってこと)もあるし、むしろ「どの村にも二つの教会と、二つのカフェと、二つの合唱団があって、人々は日曜日それぞれの教会・カフェ・合唱団に行っていた」なんて話も聞きます。一方では、一つの宗教施設を二つの宗派で使うことも稀にあります。
1874年の憲法以来、スイスでは宗教の自由は保障され、ユダヤ人にも市民権が与えられました。州ごとの宗教は選べるようになってますが、決めなくてもよいので、あのジュネーブ州でさえ特定の宗教は指定しませんでした。とは言っても州に一つしかない大聖堂は通常はどちらかの宗派に属していて、通常は片方の宗派のみによるミサしか行われていないことが多いです。