L’Escalade(終)現在のジュネーブの宗教事情

Place des Bastionsの壁にある宗教改革の重要人物4人 Calvin, Farel, Beze, Knox 壁の上部には旧市街

以前ジュネーブで生まれ育ったという人にジュネーブ外で出会ったので「じゃあ貴方はEscaladeに参加するのですね?」と聞いたところ、「あれはプロテスタントの行事だから」と言われたことがあります。現在のEscaladeには明らかにヨーロッパ顔じゃない人も当時の衣装を着て参加しているので”3代前までジュネーブ育ち”なんてことにはこだわっていないはずだし、ジュネーブでもプロテスタント教徒はどんどん少なくなっているので、今は宗教問わずなんじゃないかな?

長~い壁、ここに書いてあることを読む人は滅多にいないと思いますが。私も今回初めて読んだわ。1536年5月21日 ジュネーブ市民は評議会を開き、改革令を批准し、義務公教育を発令した

そうは言ってもジュネーブに昔から住むカトリックの人の中にはEscaladeを拒否する人もいるんだなあということはわかりました。ジュネーブでは1536年から始まったCalvinによる神権政治は要するに今のイランのような宗教指導者による絶対政治、宗教王国。なんたって1550年から18世紀初めまでクリスマス禁止!

ジュネーブ駅前のカトリック教会 左奥に駅。トラムが走ってる線の右側が「城内」。Basilique Notre-Dame de Geneveはカトリック教会で1859年の築、大きいですが城外

16世紀中盤以降、城壁で囲まれた街内にあった教会はプロテスタントに改宗され、新規のカトリック教会ができたのはそれからずっと後の1859年。それも「城外、市外」。写真のカトリック教会はジュネーブ駅のすぐそばで今でいえば駅チカ一等地だけどあくまで市外。しかしこんな大きな建物をつくるということは需要はあったんですよね。この頃すでに周辺のSavoieをはじめとするフランスなどから多くのカトリック教徒が入ってきていましたから。

フランスとナヴァレの王であるアンリ4世は1598年4月13日ナントの勅令を出す

そしてCite de Calvinと称されていたジュネーブの現状。ジャジャーン!ジュネーブの公式サイトによる2014年の統計によると(こういうの公表するんだ)カトリック43%、無宗教27%、プロテスタント10%。特に1970年以降よりポルトガル、フランス、イタリア、スペイン(すべてカトリックが主流の国)からの大量の移民を受け入れて来たので、カトリックがプロテスタントを抜いているとは聞いてはいたけどプロテスタントより無宗教の人のほうが多いとは。フランスからは通勤してくるだけでなく、住み着く人も多いです。2017年の統計によるとプロテスタントは9%と一割切ってるし。もっとも、「信者」には信じる人と、実践する人(毎週教会に行く)の両方があり、どこまで正確に答えているかはわかりませんが。なお、ジュネーブ州の現在の人口は50万近く。うち、外国人は限りなく半分に近い40%後半。1602年にジュネーブの狭い城壁内に住んでいた1万2千人を祖先に持つのはごく一部分と思われます。

ベルンの使者列席の下、ジュネーブ市民は改革を説かれる

またプロテスタントの落ち込みは移民とは関係なしにスイス人がこの数十年で全般的に「無宗教」となっていることが大きいです。「信仰を持たない」には様々なレベルがありますが、クリスマスやイースターといった大イベント時はともかく、それ以外は教会に定期的に足を運ぶ人が激減したのは事実です。

1602年12月12日、ジュネーブ市民は攻めてきたサヴォア軍を追いやり、政治的・宗教的独立を確立した。この他にもイギリスのクロムウェルなど新教の歴史がずらっと描かれてます。ホント、ほとんど読む人いなそうだけど。

たとえば私の知人(50代後半)は子供の頃は毎週教会の日曜学校に通わされ、15歳で「これで一人前のキリスト教徒」です、を確認する免許皆伝式(親戚を呼んで祝う)が済んだ途端、全く教会に行かなくなりました・・・学校の級友もほとんど同じ状況だったそうで。毎週通ってる当時は全然苦痛でもなかったし、今でも自分の人格形成はキリスト教思想に多くを負っているとも明言しているが、でもそうした人たちが自分が教会に行かないので当然自分の子供を毎週連れてくようなこともない。となると、そりゃあ、「無宗教」が増えるよなあ。

写真は2019年12月

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