Via Gottardo (27) Andermattまで

地図はhttps://map.schweizmobil.ch/より。緑の線がハイキング道。ピンク色の線が車道。赤細線が鉄道。ピンクの目玉印が「名所」の橋とSuworow将軍記念碑の位置

Schöllenen峡谷を歩いています。急流で危険!そんな場所での「あるある」は鬼や悪魔に頼んで出来た橋、実際にはもちろん人間が造ってますが。

写真のように現在は3本の橋が存在してます。歩いている道(路肩の左は川)から左へと、同じ高さで渡してあるのが一本。最初の橋から数えて三代目で1820~1830の10年をかけて完成した石造り。初代は木造、二代目からは石造りです。

一番奥に見えるのが鉄道橋。地図では赤の細い線。ちなみに地図上で橋のすぐ下にまっすぐ描かれている赤の点線はGöschenenとAirolo間の鉄道トンネル。

橋を渡っています。

こちらは岩肌沿いの歩いてきた道。初代の橋Twärrenbrückeは1230年位に造られ、木の板が鎖でぶら下がっていました。1595年には石造りの「悪魔の橋Teufelsbrücke」に替えられました(1230年の橋をも悪魔の橋という説もあり)。この歴史的に重要な橋はしかし、1830年にその次の橋(現在もある三代目)が完成して以来放置され、1888年の嵐ので崩壊して今は無いのですが、橋の接合部分が残っていて目視できるそうです(私は知らずに通り過ぎた)。

最初の写真の真ん中に見えていた山肌から空中に突き出した橋、これは車道橋です。

まず車道橋をくぐり、川を渡りもう一度車道橋をくぐって川沿いの建物をくるっと回って車道と同じ高さに出ます。というのを図解したパネル。

岩肌沿いの歩道が車道橋をくぐって川を渡ったたころ。そうそう、この橋には欄干とか手すりはないです。

しつこいですが、山肌をくるっとまわった歩道と上から突き出した車道。

1799年、ここでフランス軍とロシア軍が戦った

1595年にできた石造りの橋が傷んだのには理由がありました。1798~1802にかけての第二次対仏大同盟ではナポレオンに対抗してイギリス、オーストリア、ロシアなどが同盟を結んで戦いました。ロシアのSouvorov(綴りはいろいろあります)将軍はイタリア北部での勝利の後、チューリッヒ近くの軍に合流する途中の1799年9月25日にナポレオン軍(本人は来てないけど)とこの峡谷で激しく戦い、その際に悪魔の橋はダメージを負いました。迷惑な・・・

Souvorov将軍は戦いの二日後Altdorfに着いたもののフランス軍がその先のFlüelen港の船をすべて持ち去っていたので足止めを食らい、2万2千人の軍は陸路Brügenから雪のChinzig峠(2073m)からMuotathal、Prage峠を通ってようやく10月11日にIlanzからオーストリアに向けてスイスを去りました(この行程はハイキング道55番の道Via Suworowとなってます)。国境を越えた時、兵は1万4千人に減っていました。橋のそばにはここで倒れたSouvorov軍の兵を記念する碑が戦いから100年後の1899年に建てられました。

Militarische Bauten-軍事施設のパネルがありました。地理的重要地点であることから、当然ながら軍事的重要地点でもあり、要塞がありました。

現在は軍事的役割を終え多くが閉鎖された中、トンネル状の内部の一部に入れました。

歩道橋の上にかかる車道橋はUrnerloch(Uriの穴)から出ています。

このトンネルと橋は1708~1708年に軍事技術者Morettini設計で最初に建設されて以来、Gottardo峠まで続く最初の本格車道が1830年に作られた際など、その後何度も拡張を重ねています。

そしてSchöllenenbahnとして始まった鉄道橋。

現在はMatterhorn Gothard Bahnの一部ですね。

峡谷を抜け、Andermattに近づいてきました。南北東西の交通の十字路でして、ここから西へはFurka(フルカ)峠を越えてBrig方向、東へはOberalp峠を越えてDisentis方向へと鉄道がのびています。南へはGottardo峠越えバスの起点でもあります。あ、Furka峠越えはここからバスでもできますね。

Gottardo峠の利便性が認識されるにはこの峡谷に橋が架かることが必要でした。Gottardo峠の手前にある、この峡谷が安全に楽に通れるようになって初めて、この峠の利権をめぐってハプスブルグ家との軋轢が生じ、連合して対抗、スイス形成の楚へとつながるのですからスイスが建国の元になった重要な橋です。ロシアとフランス軍との戦闘で2基目の悪魔の橋Teufelsbrückeが損害を受けた後、当時財政状態が悪かったUri州には橋を新造する余裕はありませんでした。すると次の橋ができるまでの30年の間は物流の流れがGottardo峠からどんどん東のSplügen峠に移ってしまう事態になりました。もっと橋の建設が遅れていたら地理的勢力図はまた変わってたのかな、と思います。

WassenからGöschenenまで5㎞で参考所要時間1時間50分、GöschenenからAndermatt(標高1435m)までは4.7㎞で1時間50分とありますが、見学してるともっとかかると思います。

ロングトレイル Via Gottardo公式サイトのWassen-Andermatt区間

Andermatt公式観光サイト

ロングトレイル Via Suworow公式サイト 11ステージで全長170㎞ AiroloからAltdorfまではVia Gottardoと共通してます。9月から10月にかけてこの行程はきつそうだなあ、と泣けます。

歩行・写真は2013年6月中旬

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