スイスの若者の就職事情(終)

Collège de Béthusy 1937年築 複数の建物に分かれている

日本の学校現場で将来の自分の仕事について考えさせる機会はそれほど多くないでしょう。むしろ働くのはなるべく先延ばし、とりあえず勉強、学校にとっては進学率が上がることが善。でも誰もが、いつかは働かなければならないんですよ。なんとなく大学、修士、博士課程にまで進んでしまって20代後半で、これって自分に合ってないかも、と悟っても遅すぎる!失敗するのもやり直すのも若いうちなら何とかなるけど年をとればとるほど難しくなる。平均寿命は延びたけど、だからこそ昔より長いこと働かなければならなくなるみたいだし。

Collège de Béthusy 1937 スイスの学校施設の多くは塀で囲まれていないので敷地内に自由に入って散歩できる。建物内は駄目だと思うけど。冒頭の写真もこの学校で、休日には子供と近隣住民が広い庭でサッカーやってました

スイスの職業指導サイトでは小学校、中学校のうちに自分の好きなこと、得意なことを知ることを勧めています。体を動かすのが好きか、一人でパソコン作業が好きか。人と話すのは?動物は?手作業は?自分に合ってるのはどんな作業か?どんな仕事があるのか?その仕事に必要な能力は?

Collège de Béthusy 1937

働くってどんなことをするの?スイスの職場では時々同僚の子供が一日職場体験にやってきます。こんな職場にも!というようなところにまでやってきます。一応最初に守秘義務とか注意事項は教えますが、かなりありのままに見せています。親がどんなに苦労してお金稼いでるのか教えておこう!学校と家庭の狭い範囲だけでなく、色んな大人がいるって教えておこう。

Collège de la Pontaise 1873 建物は元は孤児院 横に2連、3連になっている窓はこの時代の特徴

スイスの社会でよく聞くのは、「中学校までの勉強はパッとしなかったけど実社会では成功した」です。まあ、勉強ができて成功したとか、勉強ができなくて成功しなかった事例はあえて言うこともない、ということもありますが。義務教育終了後に職業訓練に進む子供の割合のスイスでの大きさはヨーロッパでは珍しいです。

Collège de la Pontaise 1873 この学校は校庭が狭いが手前の市民公園がつながった感じ

スイスの労働環境も大きく変わりました。シェンゲン条約加盟によりスイス外から好景気や高収入を求めて働きに来るのが簡単になったし、インターネットによりスイス内に存在した仕事がスイス外に移るのも簡単になりました。スイスは昔から国外から人を受け入れるのに慣れているとはいえ、この度の変化は規模が違います。

Collège de la Colline 1861 別荘として建てられた後、女子寄宿舎等を経て市の学校に

働きに来る外国人と彼らが就く仕事も変わりました。スイスで最も多い外国人はイタリア人です。以前はイタリアから働きに来るのは体力仕事に携わる人たちが多かったのが、現在では超優秀な大学卒だがイタリアでは職の機会に恵まれなかったり、より高収入を求めての医者や技術者の皆さんで、スイスの頭脳を支えてるのは彼らだ、といっても過言でない!と思う。イタリアにとってみれば、国がお金をかけて教育した人材が自国で生かされずに国外流出してしまうのってますます国の健全な発展の障害になるわけで。

Collège de la Barre 1902

スイスの職業訓練制度について述べましたが、そこにはもちろん光も影もあります。違うな、と思ったらやり直しがきくとは言いますが、結局どの職業訓練も途中でやめてしまって資格なしのままで終わる人ももちろんいます。人手不足の職場では若いうちは資格なしでも働けますが、齢を取ってから資格がないことを理由に解雇ということもあるわけです。最後はやっぱりコネだよね、というのは国土が狭い大きなムラであるともいえるスイスではもちろん当てはまります。年取ってからの解雇は中高年の最大の懸念。だからと言って、ある年齢以上を解雇しにくいよう法律で定めれば、中高年の雇用自体が避けられようになってしまうでしょう。若者だって安穏としてはいられません。人工知能はこの先どんどん労働環境を変えるでしょう。日本では今のところ少子高齢化に伴う人手不足が深刻なので「何かしらの仕事はあるだろう」との考えがありますが、スイスで一番心配されているのは人工知能により多くの仕事がなくなるだろうということです。

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