今回はSursee(ズルジー)からSempach(ゼンパッハ)まで湖畔を歩きます。ほぼ全行程アスファルトかそれに近い道で、上り下りもほとんど無いです。
駅からSurseeの旧市街を通って湖畔に出ます。
スイス文化財保護協会が毎年発表しているWakker賞は、歴史的な街並みや建築の保護に貢献した自治体に対し送られています。Sursee(2003年)とSempach(2017年)はともにWakker賞を受賞。
Sursee(地元の言葉ではSorsi)にはゴチック期終盤からルネッサンス期にかけての石造りの建物がよく保存されています。1386年のSempachの戦の前夜、オーストリア側のレオポルド3世が率いる軍隊が過ごしたのがこの町です。
歩くのはその名もSempach湖の北東側の旧道Alte Baselstrasse、その名も「Baselへの旧道」。湖からは割と距離と高さがあります。
1758~1861年にかけて車両(自動車じゃなくて馬車とかそういうの)が通れる幅広の道がZofingenからLuzernまで湖の南西側につくられ、この旧道はメインの輸送路からは外れることになりました。ちなみにスイスで、例えばジュネーブで「ローザンヌ通り」とあったらジュネーブからローザンヌへと続く道、と見て間違いないです。南西側の道のそばには鉄道も敷設され、Alte Baselstrasseの重要性は一時さらに低下したわけですが、現在は旧道に沿うように高速道路A2が走ってます。とは言っても高速道路は旧道の下方、距離もあるので圧迫感なく、「湖の向こうにアルプスの山々」を鑑賞しながら歩けます。一度はメインルートであったこの道を通るのは現在は農業用車両かハイカーくらい。気持ちよく歩けます。ただしこの日は暑かった!
Eichから30分ほどでKirchbühl。ローマ帝国時代の建物跡も発掘されています。写真のSt.Martin教会が文書に最初に登場したのは1234年ですが、それ以前の10から12世紀にかけて建設されたと思われます。
窓が小さいロマネスク・ゴチック様式の教会内部は1300年頃に描かれたフレスコ画で覆いつくされています。
Kirchbühlから30分ほどでSempachの街に入ります。
Sempachは湖沿いの他の集落や町同様、古くから人が住んでました。新石器時代や青銅器時代の遺物も発見されていますが。1200年代に、ゴッタルドに通じる商業路をコントロールするためにハプスブルグ家が町を拡張しました。
Schlacht bei Sempach(Sempachの戦い)は、1386年にレオポルド3世率いる4000人の騎士団とルツェルンを含む8州同盟の1500人との戦い。ゴッタルド峠の本格開通以来、峠への拠点として力をつけてきたルツェルンは1332年に三州の盟約に参加しましたがこの時点ではハプスブルグと敵対はせずに、ハプスブルグへの義務を果たしていました。
しかし1380年から次々と領土を拡張、SempachやRothenburg(次回)などを手中にし、ついには通行料などの利権をめぐってハプスブルグ家を排除しようと戦いに挑みました。Leopoldはルツェルンの領土を奪回するために騎士を集めようとしましたが金がかかる!ので北イタリアの土地を担保に金を借り、やっとのことでアルザス地方から騎士を雇い集めました。
ハプスブルグの拠点があるBruggから移動し前夜Surseeに泊まったレオポルド+騎士団4000人はSempach湖北側の斜面で盟約軍1500人と相対し敗れました。ルツェルンは領土を強化し、この頃すでに現在のルツェルン州に近い領域にまで拡張しました。
Sempachの北西にSchlachtkapelle(Schlacht戦Kapelle教会)小さな教会堂(1472~1473年築)があり、中には戦闘の模様が描かれているそうです(私は行っていない)。
上の写真はSempach旧市街の門、スイスの州の紋章が描かれています。
白地に赤の木枠のRathaus(市庁舎1475年築)は2014年より博物館になっています。https://museumsempach.ch/en/
写真と歩行 2013年6月前半 Sursee-Sempach間 10㎞ 2時間半
Via Gottardo 公式ハイキングサイト <6>SurseeからLuzern
Sempach湖一帯の観光サイト
http://www.sempachersee-tourismus.ch/