新旧キリスト教の混在する国で

前回はValaisとVaud州の事情を紹介しましたが、16世紀の時点から新旧のキリスト教が混在していた州もありました。スイス東部のGlarus(グラールス)州はチューリッヒから列車で湖沿いを東に行ってから南側にある山岳州で川沿いの細い平地部分に町がポツンポツンと連なっています。ちなみに右下のElmは今年遠出した所。来年初めからElm滞在記を書く予定です。

現在は事情は異なりますが、州全体としてはプロテスタントが優勢の中、一昔前はこれらの町のうちのNäfelsとNetstalがほぼカトリックでした。

Näfelsの郷土歴史博物館にあったパネルから。町ごとの宗教分布。クリーム色がプロテスタント、青がカトリック。 Näfelsが100%、Netstalが8割がたカトリック。この宗教人口分布がいつの年代のものなのかチェックするの忘れましたが。

Glarusといえば住民参加の青空議会Landsgemeinde。左側クリーム色のカトリックと右側青色のプロテスタントに分かれてそれぞれで住民による話し合いを経て、

最後に代表者による話し合いで統合していたのですね。つまり両宗派の住民同士は交流がありませんでした(昔の話)。

カトリック100%のNäfelsとプロテスタント100%のMollisはなんと川一本隔てたお隣りさん(昔は町の中心が小さく、町中心同士は離れていたでしょうが)。駅「Näfels-Mollis」を共有しています。地名がー(ハイフン)でつながってる駅名は、二つの自治体共有という意味です。(/でつながってるのは二言語それぞれ表記)第二次世界大戦戦前戦後すぐくらいまでは、NäfelsとMollisの男女間でカップルになると、うちの女に手を出した、と男衆が相手側に殴り込みをかけるロミオとジュリエット、いや、リアル・ウェストサイドストーリーをやってたそうです。無宗教が大勢になってきているし、外からの住民の流入で新旧どちらかのキリスト教徒の独占状態どころかイスラム教なども入ってきてるし、現在では想像できない状況ですね。50年くらい前には既に当時Näfelsにあったカトリックの修道院付属の中学校にMollisのプロテスタントの生徒も通ってたそうです。

修道院付属の学校は今でもスイスに何か所か残ってます。優秀な学生が集まり(スイスでは珍しいことに入学試験がある)普通の公立学校に比べると少人数で質の高い教育が受けられるとされてます。Näfelsでは修道院は存続しているものの付属学校は閉校してしまいましたが、それは修道士になる人が減ったための教員不足からで入学希望者は多かったと思います。宗教教育は週1回くらいでその時だけ信者以外の生徒は自習室にいたとか。前回のMontheyの近くにあるSt-Mauriceの修道院の付属学校も現役で、例えばフィギュアスケートのステファン・ランビエル(宇野昌磨選手の現コーチ)も卒業生。文武両道って感じでスポーツ選手で修道院付属学校出身の人も多く、きらびやかな人材を輩出しています。

1835年につくられたValettesの小学校(現役の小学校とは異なる)。

教育についてもそれぞれの州について多くの違いがあります。18世紀まで、Valais州の学校はカトリック教会が管理していました。学校の代理人procureurは理事régentを選び、神父や司祭の承諾を受けたのち初めて地方議会に推薦できました。

Montheyの小学校

以前書いた市町村のワイン、元々は教会のブドウ畑だったのが自治体の所有に移ったわけです。Vaud州は1536年にベルン州の支配下になり、プロテスタント化がなされました。Vaud州のMorges(モルジュ)では1547年からかつての教会領のブドウ畑が市の「所有」になり、Lausanneでは1800年初めから市所有のブドウ畑からのワインをセリにかけています。

Valais州のSaillonの入り口

あとカトリックの町によくあるものとしては町の入り口や中心にある巨大な十字架。痛々しい姿のキリスト像付きの十字架もよく見ます。

St-Ursanne(Jura州)の町の入り口

Näfelsにある郷土博物館は元々はFreuler氏のお屋敷:

https://www.freulerpalast.ch/

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