Via Francigenaの行程を再開する前に、
楕円形(一番下の赤矢印)はAmphithéâtre(ローマ帝国時代の屋外競技場)。70番の道からは少し外れているけど、ゲートなど無く、24時間入場可。
75.5X63.7mと小振りながら本家ローマと同様に拳闘試合などが行われていました。4世紀末に町が衰退すると競技場も忘れられ、長らく埋もれていました。2013年には座面がオリジナルの石のままだったのに、
2021年に行ったら座席部分が「改良」されていました。現在はここで闘牛「Combats de reines」やオペラ公演などが行われます。闘牛はValais州の黒牛Hérens種。
アウグストゥス皇帝に見送られながら道に戻りましょう。
Martigny駅に現CFFのSimplon線が敷設されたのが1859年。Martigny駅からOrsieresまでのSt-Bernard Express鉄道が1910年、Chatelardへが1906年。また1906~1957年の間はMartignyーBourgの間を路面電車が走っていました。
Martigny-Bourgは市内でも古くからの住地域。Bourg広場の周りには複数のレストラン。(しかし多くが日曜・月曜休み)。写真の右に写っているレストランLes Trois Couronnesは17世紀初めに建てられた、内部にも往時の面影が残す、Sion大司教の関連建物。
既に訪れたMartignyの中心部とここBourgの2か所にはSousteと呼ばれる峠を越えて運ばれてくる、品物を一時保管する(検査する)ための倉庫が置かれていました。回廊が特徴的なこの建物は17世紀に建てられ、刑務所→修道院→自治体の行政庁舎→学校などと変遷。
雨天時にはアーケードの下に商品を並べられていました。5本ある円柱はSt-Triphon産の大理石。高さ140㎝で直径37㎝。
通りの西側には入り組んだ細い道と古そうな家が密集。その辺りにMoulin Semblanet・すぐ横のDranse川の水力を使う製粉所(現役)があるはずだが、この日は見つけられず。
町の出口(入り口)の教会堂Chapelle St. Michel。よく見ると、鐘楼の縁からカラマツの枝が出ている(生えている)。見られるのは5月末以降で、天気が良ければ青空に映えて見やすい、との記述。知らずに撮った写真だけど、後から知って見つけて嬉しい。
MartignyからはDranse川沿いを歩きます。はじめはそれなりに広かった川沿いの平地がMartigny-Bourgの先からは急に狭まり、やがてDranse川は山の間を峡谷を形成しながらクルリと流れ、Sembrancherまで続いていきます(そして我々の行程も)。
歩行と写真は2021年6月中旬と2013年