1948年のスイスとイタリア間の新たな協定で、家族の呼び寄せも可能に。労働者本人だけでなく、家族総出でのスイスでの滞在となると、男だけの集まりとは違う家族間での「おつきあい」や地域活動が始まり、イタリアのそれぞれの地方の文化、食事、スポーツのクラブができます。食事や文化の恩恵はスイスにも。いやー イタリア料理(店)がなかったらスイスの食卓はどんなかと想像すると恐ろしい。そして20世紀初めには宗教改革以来、初めてのカトリック教会がローザンヌに建てられました。
1950年には4500人、1970年には1万3千人のイタリア人がローザンヌに住んでいて、全外国人のほぼ半分を占めていました。1973年のオイルショックまではずーっと右肩上がり。2020年イタリア人は全外国人の27%にとどまるーーーとありました。今はイタリア人をはじめとするヨーロッパ系以外にも本当に多様な「外国人」がいるし。
さてスイスに定住した外国人のそれなりの割合がスイス国籍に挑みます。私の周りのイタリア出身者の場合、第二次世界大戦より前の世代はスイスで働いた後はイタリアに帰ってたけど、1960年代以降に来たイタリア出身者や移民2世はスイス国籍とってスイスで家買ったりして、スイス社会にとどまり次の世代もスイスで育て続けるつもりな印象ですね。スイス国籍とってもイタリア国籍放棄しなくていいのと、なんといっても断然日本よりは近いからいいなあ。
はじめは「雇われ人」だったのが、やがて自分でレストランやホテルや工場を経営するようになります。骨をうずめるとなると国の将来にも積極的にかかわりたいよね。国籍を得た2世以降は政治の世界に入るものも出てきて、中には2世で既に州の首長になる例や、そういえば2022年の大統領もそうか。。
しかし人数が増え社会の表面に出てくると、外国人を排除しようとする動きも出てきます。1960年代から外国人を排除する動きや嫌悪感をあおる団体が出てきて、外国人の移住を制限する議案の数々が国民投票にかけられてきました。2014年の「大規模な移民を制限する法案」を除いては否決されてきたけれど。
そんな外国人嫌い対策として1971年にLausanneではBLI(Bureau Lausannois pour les immigrés)が市により設立されました(祝!50周年)。
市内の外国人を対象にフランス語講座や催し物があり、私はBLI主催でベルンの連邦議事堂(バスが出た)や市内で新装された州議会の見学ツアーに参加し、どちらも無料なんですよね。。これらの見学の後にはワイン&おつまみで乾杯!もあったが今はコロナで無理かなあ。
Musee Historique de Lausanne(ローザンヌ歴史博物館)
https://www.lausanne.ch/vie-pratique/culture/musees/mhl.html
Losanne Svizzera(ローザンヌ スイス のイタリア語表記)展は2022年1月9日まで
https://www.lausanne.ch/vie-pratique/culture/musees/mhl/expositions/Losanna-Svizzera.html