Via Spluga (7) Rofflaschlucht

3日目。Andeerを10時ちょっと前に出発して南に向かいます。

次のBarenburgの集落が左奥に。集落内には入らないで横を通ります。

地図上で湖Lai da Searaの北端にあるOEと書いてある灰色の四角。

湖の端に設けられたダム。

ライン川の源流Hinterrhein(独)/Rein Posteriur(ロマンシュ)川の流れをせき止めてできたダム湖。写真はダムから解放された後の水の流れ

35万の家庭に電力を供給するKraftwerke Hinterrheinはグラウビュンデン州最大、スイスでも有数の水力発電所で1956年よりの稼働。

左奥に湖が少しだけ見える。この先で流れは二股に分かれ、西側がHinterrhein、東側がRagn d’Avers川。

その合流地点にあるホテル・レストランGasthaus Rofflaschlucht(Roffla峡谷)はただのレストランではありません。見かけは普通ですが「名所」でバス停もあります。ちょっと長いですがその経緯を。その昔、Viamalaからの峡谷沿いの細道ではラバの背に荷を載せて運ぶしかなく、ThusisからSplugen間の道沿いには短・中距離の運送業や宿で賑わっていました。のちに道を改良して四頭馬車で一気に駆け抜けられるようになると短・中距離をリレーして運ぶ運送業者が、さらにゴッタルド峠を抜ける鉄道が1882年に開通すると道沿いの宿も寂れることになります。仕事をなくした人たちの中にはアメリカに移民する者も多く、この宿の後継ぎChristian Pitschen-Melchior(1862~1940)もそうでした。

ところがアメリカでナイアガラの滝に感銘を受けたた彼は「観光で客を呼んで家業の宿を立て直そう」とスイスに戻り1907~1914にかけて家族総出、手作業で岩をくぐるトンネルを掘ります。発破を爆発させること8000回。実家のホテルから裏の滝へのトンネルが完成。レストラン内部に当時の様子を語る写真などが展示されています。今ではダムのために水量は減ってますが滝もホテルも健在。入場料を払うとトンネルを通って滝を見に行けます。(写真なし・・・通行料2013年時で3.5フラン程度の滝のお姿です)

Rofflaschluchtがある川の合流地点は小ぶりながらも山塊で、山肌を登って行きます。高速道路が右手下に。

この辺りは鎖場がちょっとありました。高速道路はトンネルの出入りを繰り返しますが、人間とロバはこうして細道を登って行きました。

自然の中を歩くともいえるし、車がビュンビュン飛ばすのを見ながら歩くとも言えるし。今も昔も交通の要所でありました(何度も繰り返してますけど)

高速道路は長いRoflatunnelトンネルに入ります。

高速路がトンネルに入っている上を歩いているとき。

トンネルから出た高速道路の下をくぐります。ずっと下を走っていたと思っていたのにいつの間に上に・・・

このように歩行用道が確保されています。この時、私はすれちがったハイカーの一団に、「あなたとは3日連続で会ったわよ!」と話しかけられたのだった!前日の雨の午後のJuf峠のバスでも一緒だったらしい。外国人観光客がほとんどいない地域でのアジア女性の一人ハイカーは目立つのだなあ、と思い知った次第。

歩行と写真は2013年8月末

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