Val Müstairとその周辺 (4) S-charlから

「く」の字型に鉄道とバス路。3か所を赤でマークしたうち、上からScuol、S-charl、Pass dal Fuorn。

しばらく町中の話が続きましたが、自然の中を歩いた時の事を書きたい!で、今回はS-charlからFuorn峠まで。北側にScuolからZernez、南側にZernezからMustairまで、もっと先まで続いていますが、Zernezで曲がった「く」の字の形に線路と道路が伸びてます。ScuolからSta Mariaに行く場合、右側からにせよ左側からにせよ、車や鉄道を使うと大回りするわけですが、「く」の字の内側を近道することはできるのか?はい、できます。歩きなので時間はかかりますが、牛や馬しかいない広々としたところを歩けます。

Scuolから南のS-charlへの山の間の道。

ScuolからS-charl(スチャール)までは夏の間だけですがバスが通ってます。一日に8~9本となかなかの本数で13㎞を40分かけて峡谷のクネクネ細道を。両側いきなり3000m級の山の間の道を走るフルサイズのバス。

憶えているのは、途中移動中の牛の隊列に遭遇して、優先権は牛にあるのでバスは牛が通り過ぎるのを待ちました。牛待ちや牛に囲まれる体験は他のところでも結構あります。

S-Charl終点 バスの右側の建物には郵便ポストが並んでいて、運転手さんが集積ポストに郵便を配っているところ

Scuolも標高がそれなりにありますが、S-charlは1810m。S-charlは1920年までは通年人が住んでいました。文献に最初に名が出るのが1095年!S-charlとVal Mingerでは銀と鉛がとれたのです。14~17世紀と中断ののち19世紀前半に盛んに採掘がおこなわれました。16世紀には家が70軒、1825年には学校もあり、ドイツ語が学べるとScuolからS-charlまで生徒を通わせる親もいました。冬の間はScuolから馬で引かせたそりで移動しました(今も観光用にあるらしい)。

現在は家が17軒とホテルが2軒に教会。車は集落の手前の駐車場までしか入れません。Museum Schmelzraで採掘の様子が展示されています。

S-charlからPass dal Fuornまで歩きます。

10:16 まずはS-charlの谷を奥へ、Clemgia川を遡って歩いていきます。

Clemgiaはスイスと南チロルの境を成す山を源流に、Scuolを通ってInn川からドナウ川へと合流し、最後は黒海に流れ込みます。

3㎞位歩いたところのPlan d’immez(1983m)でハイキング指定道は二手に分かれます。左側は45番のNational Park Panoramawegの道で、Alp PlazenからVal Plazenに入りCruschetta/S-charljoch(2291m)の峠で国境、南チロル内を歩いた後、Mustairにつながります。私は右側43番のJacobsweg Graubundenを行きました。

このあたり、Tamangurが地名に散見されます。God da Tamangurはロマンシュ語で「後ろにある松の森」。Tamangurは松の森のことで、英語ではstone pine(イタリアカサマツ)となってもいますが、傘を開いた形の松ではなく、学名がpinus cembra、Swiss pineとも呼ばれるスイス松のことです。標高1200~2500mに生える円錐形の松。

ドイツ語ではArbe, Arve, ZirbeでTamangurはArvenwaldes, Ziebelkiefer、松の森です。Val S-charlの南端から松の森は始まり、God Tamangurはヨーロッパで最も高所に形成されている松林で樹齢は700年、保護区になっています。

Tamangurはロマンシュ語文化圏の人にとって、粘り強さ、強さ、生への活力の象徴となっています。

12:22 Alp Astras、標高2135mに着きました。Astras-Tamangur-Sesvennaというこの建物ではチーズや甘いものなどの販売と、コーヒー休憩(&トイレ)ができるんではないかと思います(私は通り過ぎただけ)。なおSesvannaですが、Piz SesvennaはS-charlから東、南チロルとの境にそびえる3204mの頂、またはPiz Sesvennaを含む一連の山脈を指します。

歩行・写真は2012年9月

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