Via Gottardo (48) Ticino(ティチーノ)州とイタリア

Biascaの教会 Chiesa Ss Pietro e Paoloの内部のフレスコ画を見てみましょう

例年ならばイースター休暇前にはTicino、そしてさらに南のイタリアへ向かう車でGottardo峠の両側での渋滞が報じられるのに、今年は例外的な春となりそうです。(4/2追記:Ticinoには別荘が多いのですが、連邦政府はイースター休暇にTicinoに移動することを戒めています。Ticino側も来ないでくれ!と言っている。とにかく不要の人の移動は厳禁)

Via Gottardoで今掲載しているTicino州はスイスがイタリアに入り込んでいる半島のような形状で、現在でもイタリアと深くかかわっており、人の行き来も盛ん。国境封鎖前は毎日7万人、現在でも医療現場で働く人を含めて多くの人々がイタリアとTicinoを往復しています。州の南北を貫く鉄道と道路はミラノへと続いています。

さてTicino、ケルト人の地がローマ帝国の一部になり、1100年頃からはMilan(ミラノ)とComoの自由自治区となり、14世紀からはMilanのVisconti公の地となります。
そしてここまで歩いてきた場所と同様に、Gottardo峠経由の通行ルートが実用化されると1352年には物資の中継地点となるSustがつくられ、Orelli家が通行税を徴収し始めます。

やがて峠を越えて原初スイス勢力が攻めて来て、1403年にBiascaはUriとObwaldenに制圧され、二州のイタリア管轄地(Vogteien)となります。


しかし重要拠点なのは南側のMilanにとっても同じこと、以降3度に渡ってMilanとUriの間での取り合いを経て1500年より峠からBiascaまでのLeventinaの谷はUri領、Ticinoの残り部分のうち、これから歩く北部のRiviera、Blenio、BellinzonaはUri、Schwyz、Nidwaldenの共同管轄地、南部は12州の共同管轄地になります。
スイスの中でも新型コロナウィルスによる死亡者数が最も多いのがTicino州。経済への打撃も深刻なら観光への影響も甚大で、観光局のサイトトップを開くと「コロナウィルスに関しての注意」が出てきてつらいです。
いつかまた気軽に歩ける時のための応援も兼ねて、書き続けることにしましょう。Via Gottardo全長320㎞のうち、BiascaからChiassoまでは92.7㎞です。

今回のフレスコ画は全てBiascaの教会 Chiesa Ss Pietro e Paolo内。2013年10月の撮影

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