L’Escalade(2)週末3日間ジュネーブの旧市街は1602年に還る

Hôtel-de-ville旧市庁舎(今も部分的に現役だし普段でも中に入れる)の中庭で。接近戦の実演

L’Escaladeは12月12日に近い週末の3日間行われます。その前の週にはEscaladeマラソンがあり、こっちも有名です。

同じHôtel-de-ville旧市庁舎の中庭。今度は音楽隊。建物の回廊を上って上から見学できる

Escalade初日は金曜日の夕方。Cortègeといわれる時代絵巻行列のようなものが駅近くの教会Temple de St.Gervaisを目指して旧市街の東端を出発します。Temple de St.Gervaisには12日の戦いで亡くなったGeneve側の18人(17人とも)が祀られています。金曜日のCortègeはHommage aux victimesとあり、彼らを弔う為のものです。400年以上前、日本では関ヶ原の戦いがあった2年後ですね。

奥に見えるは大聖堂Cathédrale St-Pierre

ジュネーブは駅と湖のさらに南に小振りの丘があり、1602年時にはこの丘が城壁で囲まれていました。今でも中世の趣を残す古い家々が実に良く残っています。小規模ですが、なんたって戦災の被害を受けていないのは強みです。

同じく大聖堂

ここVieille Ville=旧市街の真ん中に鎮座するのがCathédrale St-Pierreカテドラル大聖堂。

大聖堂内

3日間期間中のスケジュールをざっと紹介すると、前述の金曜日夕方からの犠牲者18人を弔う行列、土曜日の夕方からの大聖堂でのミサ。これには1602委員会とジュネーブ市のお偉方(議員とか市長とか)も出席して、やはり亡くなった18人の名を読み上げ、L’Escaladeの歌、Cé qu’è lainô(1603年に作られ、当時のジュネーブで話されていた方言での歌詞なので現在のフランス語と相当違うが現在でもジュネーブの公式賛歌。今の言葉で言えばCelui qui est en haut)を歌います。

大聖堂内

この時間帯と前後して大聖堂の周辺ではLampion=提灯が売られこれまた行列、Défilé aux lampions couvert à tousー提灯を手にした一般の人々が時代衣装の1602委員会の隊列に加わり歩き始めます。この提灯には死者の魂を鎮める意味もあります。

大聖堂の外ではL’Escalade期間中は定期的に火縄銃の実演などやってます

そして日曜日には17時から始まるGrand Cortège historique de l’Escalade、一番大規模なCortège。三日間あちこちで出没していた時代扮装の人たちが勢ぞろいしてのCortège。市長の格好をした人々、兵隊、音楽隊に加え、羊や家畜を連れた普通の人々(恰好は昔の恰好)の大行列がBastion広場を出発して3時間以上かけてやはり町内練り歩き、ゴールの大聖堂前ではかがり火がたかれ、やはり最後は例の歌Cé qu’è lainôの大合唱。この祭りはいったい何なのか?

ここは期間中特別公開された歴史の間のようなところ

何故ジュネーブはフランスに三方を囲まれながら今スイスに属しているのか?外敵を撃退した、なんて良くありそうなことなのに、なんで400年以上大騒ぎしているのか?これを理解するには少し歴史のおさらいが必要です。

大砲。実演もあり。

Compagnie de 1602、1602委員会公式HP: https://www.1602.ch/wp/

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