行き来の多い峠にあるものは?Hospiz、ホスピスです。ホスピスというと医療施設を思うかもしれませんが、歩きや馬での移動が主だった時代、そこを通る商人、巡礼者、旅人達の保護や便宜のためにあった建物がホスピスです。
Gottardo峠に最初の建造物が出来た正確な時期は不明ですが、遅くとも西暦1000年までには初期の形態があったようです。教会堂と、1237年にはホスピスが建てられ、峠を通る者の保護は教会勢力によって保障されることとなりました。
1433年にはこのホスピスの管理は峠を降りたところにある町Airoloに移り、1683年に2軒目のホスピスAlte Hospizがフランシスコ会のカプチン修道士によってつくられ1801年まで運営されるのですが、このホスピスは1799年のナポレオン軍とロシア軍との戦いで破壊されました・・・(しばらくしてから再建されたけど)
通行量が増えて道が拡張されて、本格的な商業路となると荷物の積み替えを行ったり、ラバや馬などを世話する建物、Sustもつくられます。Alte SustはTicino州によりホスピスの向かいに1837に建てられ貨物の集散地&税関所(スイスがスイスとなる1848年以前は州ごとに関税がかかってたので)&宿泊所として使われていましたが1986年よりレストランと博物館(6~10月のみ開館)になりました。
1866年、ホスピスの管理を州から引き継いでいた個人がAlte Hospizの隣にホテルMonte Prosaを開業。1830年には馬車が通れる「車道」ができて「普通の旅行者」が峠まで来られるようになり、旅人の「保護」よりもうちょっと良いサービスが求められるようになったからです。これが今のAlbergoの方のホテルに当たるのかな?一方の昔からの建物Alte Hospizはずっと後になってから、コンペで著名建築家Miller&Marantaが選ばれ、元の建物を生かしつつ改築。2010年よりホテルとして再始動。
忘れちゃいけない軍の要塞。Gottardo峠を通る道はドイツとイタリアをつなぐ最短経路。というわけでAndermattと同様、峠もまた軍事的に非常に重要な場所であり、峠がある平らな部分とAiroloへ下りたところには大規模な軍事施設や要塞があり、戦後も1998年まで使われていました。この要塞の一部を使ってるのが4星ホテルLa Claustra。ここは峠の北でバス停や他のホテルからはだいぶ離れているので車で来る人向けですね。
建物がいくつか出てきて変遷があって分かりにくいですが(調べてても結構諸説あるんだわ)、峠には複数の宿泊施設があります。少し離れた要塞ホテルと、バス停の近くの建物がかたまってある所に同一経営者の2軒。Ospizio San Gottardoが有名建築家の改築で一泊一部屋の値段が2人で200、1人で130CHF。お手軽価格のAlbergo San Gottardoではバストイレ共同で一泊一部屋2人で130、一人で80CHF、さらにドミトリー一人42CHF も併設されているのが2019年の状況です。(値段は一部屋当たり、朝食込み)
食事処はバス停近くのホテル併設のレストランが宿泊者以外も食べられます。ProsaとVecchia Sostaがあり、Vecchia Sostaではセルフサービス(つまり料金抑え目)もあり、変わったところではミリ飯!Cucina Militareという軍隊食レストランがあるらしい(私は未体験)。
https://passosangottardo.ch/en/gastronomy/
歩行、写真は2012年6月下旬
http://www.gotthard-hospiz.ch/en/
高いほうと安いほう、2軒のホテルの情報は上記サイトの「Accomodation」から
Alte Hopizを改築する過程(ドイツ語)こうして読むと、次は高いほうのホテルに泊まってみたくなる。
https://www.swiss-architects.com/de/architecture-news/reviews/altes-hospiz-st-gotthard
https://www.espazium.ch/fr/node/3783