オリンピック!ビールマンスピンのDenise BiellemanとBernhard Russi

今週末からいよいよ、冬期平昌オリンピックですね。

先日健康に関する啓蒙パンフレットをパラパラめくってたら懐かしい名前を発見。フィギュアスケートのビールマンスピンを「普及させた」ことで名高いDenise Bielleman(デニス・ビールマン)さんが「女性と心臓血管病予防」のパンフレットに、女性6人の一人として載ってました。「ツアー中でも野菜、果物を沢山食べてます。あとは鶏のささ身を少し。出来合いのものを急いで食べるより、よく考えられた食事を採った時の方が体の調子がいい」とコメントしてます。1962年生まれの55歳、現在もアイスショーやコーチとして活躍されています。

Denise Bielleman(デニス・ビールマン)が健康のために行っていること。

アマチュア時代の主な記録は1980年のレークプラシッド冬季五輪で4位、翌1981年の世界選手権優勝。その後すぐにプロ転向。この時代はプロになるとアマチュアの選手権には出られなくなったのでアマチュアの記録はこれでおしまい。

私は子供の頃、何かの競技会で優勝したところを見たところがあるなあ、当時日本でテレビ中継してたとしたらNHK杯かな、と調べてみたら、1980年のNHK杯で優勝してました。その時の準優勝がカタリナ・ヴィット。NHK杯は前年の1979年に第一回の開催。初代女王は渡部絵美さん。などと私の年代には色々懐かしかったです。それにしてもビールマンスピンを最初に見たときの衝撃はすごかった!自分でも背中越しに足首をつかめるものかと試してみましたが、ええ、氷上で滑りながらなんでそんなことが出来るのか、と驚愕しました。

オリンピックで金メダルを取れたとしても、その後の収入や名声が保証されているわけではないことはスイスでも同じです。むしろ、テレビ産業がほとんど発達してないので、キャスターへの転身、ひな壇芸人の道が見込めず、もっと大変そうです。なんやかんや言っても1億人以上が同じ言語を解する、というのはテレビや広告の面で強いです。コーチのポストにも限りがあるし、第一指導者向きじゃない人も多数だろうし…スイスではメダリストでも引退後はレストランのオーナーにでも成れたら御の字じゃなかろうか、とまで言われています。実際、レストランやスキーレンタルの店に行って、壁にオリンピック出場時のゼッケンやユニフォームが写真とともに飾られているのを見つけることはたまにあります。

そんな中、ひとり気を吐くのがアルペンスキー滑降のBernhard Russi(ルッシ)、1948年生まれ、69歳。オリンピックのメダルは札幌での金と次のインスブルックの銀の二つ、世界選手権では金と銀の計3個なので、もっとメダルを獲得した選手は他にもいそうですが、スイスで最も顔が出ている元スポーツ選手の一人じゃないかな。そうそう、以前にも一度書きましたが、札幌五輪ではスイス選手が多数メダルを取ったので、その時代を知る年代の人には「サッポロ」の名はとてもよく響きます。

眼鏡店、VISILABの広告より 若々しすぎるだろ!

たとえばRussiがアドバイザーも務めている、大手眼鏡店の広告、年齢の分だけ割引しますよ。ここでは67%とあるので2年前のものですね。元々の価格設定が高すぎるのでは、というツッコミはともかく、一緒に写っているLara Gut(ララ・グート)、当時24歳、彼女はアルペンスキーの現役スターですが、何かほとんど同じ年齢に見える。写真加工をしてるにしてもRussiが若々しすぎる、というのがもっぱらの評判でした。

Russiが何故今でもそんなに有名かというと、スキー滑降競技のコースの選定と設計で名を馳せているからです。競技が面白くなるのも単調になるのもプランナー次第。スピードが出すぎて危険になるのを避けつつ、でも観客が面白いと思えるレースになるようにするのは設計者の腕。国際スキー連盟の技術顧問を務め、今度の平昌オリンピックでもコースプランニングのために30回以上現地に足を運んでいるのだとか。93年の盛岡での世界選手権と98年の長野五輪でも担当してたそうです。

出典:「女性のための心臓疾患予防」

https://www.swissheart.ch/fileadmin/user_upload/Swissheart/Shop/PDF_Broschueren/Frau_Herz_2016_FR_web.pdf

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