行列は再び草地を離れ、
路地を進み、
予定では10時とありましたが、実際には10時20分は過ぎていたかな、Fahrtsplatz=Fahrts広場に着きました。広場を取り囲むようにひるがえっている縦長の旗は1388年当時、連邦に加盟していた8(邦)州の旗。
合唱団による聖歌斉唱。続く政府関係者の演説の最後には毎年必ず、戦死した兵士の出身地と名前が読み上げられます。次いで聖職者のお話。
これは演説が終わった後なので、皆さん立ち上がっていますが、演説の間は広場に円形に座ってました。
行列はFahrtsplatzの後、再び「石」を巡り(ここまで6個見てきましたが、全部で11個あるそうだ)、12時には教会でのミサで終わります。
私は広場から駅に向かいましたが、道路は露店が並ぶ歩行者天国状態。普段は会ってない地元の友人同士が集まる機会でもあるようです。
こちらはFreulerpalast。
Freuler氏が17世紀に建てた建物で、現在はグラールスの歴史博物館。
Nafels市街地から駅Nafels-Mollisを経て、Linth川を渡るとMollis市に入ります。
Mollisの教会の中に入ると正面に、
Nafelsの戦いで亡くなった方々の名と出身地が記されています。
1388年4月9日、ハプスブルク軍6000人に対し、Glarus軍は僅か500人。NafelsのLetzi(今も地名に残る)壁を破り略奪してきたハプスブルク軍に対し、ウリ、シュヴィーツなどの連邦の他の州の軍の助けを受け、650人となったGlarus軍は反撃、ハプスブルク軍を打ち負かしました。戦死者はグラールス側の55人に対し、ハプスブルク側は1700人。
スイスの山岳3州、原初三邦が成立したのが1291年。1353年の八邦同盟から1388年のNafelsの戦いの後、1389年にハプスブルクと休戦条約が結ばれ、ルツェルン、ツーク、グラールスはハプスブルクからの独立が達せられます。
さて戦場はNäfelsだったのに、何故川を挟んだMollisの教会に名が記されているかというと、1388年当時のNäfelsはLinth川の氾濫に悩まされる小さな集落に過ぎず、教会はMollisにありました。Näfelsが現在のように街として発展するのは19世紀になってLinth川の河川改修工事が行われた後のこと。
写真は2026年4月9日

















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