Jougnena (6) 国境

フランスのLes Echampesからスイスとの国境を越えてBallaignesへ歩きます。

両側に瀟洒な家が連なる住宅街からの一本道はやがて未舗装の小道になり、周りには牧草地

小路の先には国境。柵が国境線。

Ballaignesまで2㎞、Jougneまで3.5㎞。黄色の方向表示板には小さく巡礼者マーク、Via Francigenaの印がついています。そう、Via FrancigenaはそれまでのSte-Croix経由から、JougneーBallaignes経由に変わりました。ということでここが巡礼道におけるスイスの出発地。

フランドルからイタリアへ向かう途中の道として、13世紀ごろからJougnena谷を通るようになります。17世紀に通行税が廃止されてからは人や物が行き交い集まる地となり、密輸業者が暗躍する場ともなりました。JougneからBallaignes、Vallorbeまで、元々はJougne川の恩恵を共有する緩い共同体だったのが、スイスとフランスに分かれたきっかけの一つは1520年からスイスで始まった宗教改革。改革派のプロテスタントに転じたBallaignesとVallorbeに対し、JougneがあるHaut-Doubs地方では反改革派の勢いが強く、カトリックを選んだJougneは10年戦争で1639年に町と城が焼失した後の1674年にフランス側への帰属を選びました。

振り返って、さようなら、フランス!

道の右側にありました!国境境界石。

ものすごく分かりにくいですが、1832 FRANCE DEPT DU DOUBS(Doubsドゥー県)と刻んであるようです。

反対側は 1932 SUISSE CANTON DE VAUD(Vaudヴォー州)参考:https://histoiredebornes.ch/bornes/carte/1167

左側には私の身長ほどもある石碑

こちらも大変に読みづらいですが、France(左) Suisseとありました

この柵で区切られた国境線の先には南北にのびる車道があり、地図ではDouaneの表示があります(人が常駐しているかどうかは不明)。走る車が停められることは多分無いと思いますが、Douane周辺にそれなりのスペースが確保されています。第二次世界大戦末期の1945年にペタン元帥がドイツからスイスを経由してフランスに帰還した際に拘束されたのがこの国境。フランス革命後の兵や避難民、1871年のブルバキ軍などがこの国境を越えて逃げ込みました。ブルバキ軍については、ここから北東のNeuchatel州とフランスの境で大規模な避難・駐留がありましたが、それはまたいつか。

写真と歩行は2024年8月中旬

Copyrighted Image

error: Content is protected !!
テキストのコピーはできません。