Acquacarda(1756m) から峠(1917m)までは1時間半。バス停2駅分。
私は車道と川の間の道を歩きましたが、Acquacaldaから森の中へ入って一周する道もあります。
キャンプサイトの横から、車道と川((Brenno del Lucomagno)の間の小道
Al Pini (1790m)の分岐。今日はこのまま直進しますが、明日はここからPiora方向に左折します。
開けた地に出ました。Alpe Casaccia(1809m)のバス停のそばには、帰りのバスからちらっと見ただけですがトイレがあるようでした。
緩やかなアップダウンのある中を歩き、
Alpe Pertusio(1830m)。川の源泉Sorgente del Brenneまで50mとあるが行かず。この辺り、分岐し蛇行する小川を渡っていきます。
ポツンと酪農家。夏の間だけの家かしら。少し離れて豚が5頭、自由に闊歩して小川で水を飲んでいた。
豚が散歩する川辺から斜面を上り、
上りきると奥に別の山々の頂が見えてくる。
このくらいの標高になると木もこんな感じ。となると太陽を遮るものが無く、暑い。
遠くに峠のホテルが見えてきた。このレストラン&ホテル、2023年の夏は火曜と水曜が休みで閉まってた(涙)。この建物内以外にトイレは無し(涙)。じっと帰りのバスを待つ。
標高1917m。Passo del Lucomagno(イタリア語)とCuolm Lucmagn(ロマンシュ語)の2言語で表記されていることから分かるように、ここに言語境界線、TicinoとGraubundenの2州の境。
峠からはDisentisまで黄色の郵便バスに乗り継げます。Lucomagnoの語源Lucus magnusはラテン語で「大きな森」の意味。峠はゴッタルド山塊とAdula山塊を分け、地中海と北海の分水嶺にある。
Biascaの北側の町Malvagliaでローマ帝国時代の貨幣が発見されたことから、BiascaーLucomagnoーDisentisへの道は遅くとも3世紀には開通。8世紀初めにDisentisに修道院がつくられると、Lucomagno道は重宝され、修道院は1374年に峠に避難小屋と教会堂を建立。
しかし、ここからすぐ西のゴッタルド峠、東側のSplugen峠が安全に通れるようになると(両峠とも、通行の難所だった急流渓谷に橋を架けて大回りしなくても良くなった)、Lucomagno峠の重要性は低下。
Lucomagnoの長所は標高がゴッタルド、Splugenに比べると低く冬場でもOK!なことだが、1869年に鉄道路選定争いに敗れ、ゴッタルドにトンネルが開通すると更に重要性は低下・・・Lucomagno峠から北側Disentis(1130m)への道路は1872年に、南側のBiasca(303m)への道路は1877年に開通するも、ゴッタルドには高速道路が開通。ちょっと寂しい峠の歴史。
1960年代には水力発電用のダム湖Lar da Sontga mariが完成し、Lucomagne峠は移動、教会堂と避難小屋は取り壊され、現在あるのは1967年に再建されたもの。
歩行と写真は2023年7月後半
ベリンゾーナ観光協会のサイトから、ルコマーニョ峠の歴史:
https://www.bellinzonaevalli.ch/en/commons/details/The-Lukmanier-Pass/121765.html