MognoからPecciaに向かっています。Webで見られる地図上では現在MognoからCambleeまで赤白線と立ち入り禁止のマーク(実際現地でも立ち入り禁止の場所には赤白のテープが貼ってありますよね)がついていて、原因は岩落下による土砂崩れで年末までの通行禁止が通知されています。
ちなみにFusioからPeccia、そしてここ一帯は山道分類の赤の線になってますが、実はこの区間、私は2014年にサンダル(一応KEENのアウトドア用サンダルではある)で歩いてしまっていて、うむむ、ここサンダルではまずかったなあ、と思った記憶があります。地図上で赤の線になるかオレンジの線になるかは割と適当なところもあります。天気が良くてぬかるみ等がなければ大方歩きやすい道でした。
標高1000m超えた5月上旬、野生のクロッカスの蕾でいっぱいでした。場所によっては雪もまだ残っています。
Cospatの2軒かな。
途中Corsgell等の集落がありますが、現在では別荘として使われているだけだと思います。
歩いているのはMule Track、昔ラバの背に荷物を載せて歩かれた通商の道。Pecciaの手前で傾斜が大きくなり、クネクネ車道を何度も横切って一気に下ります。
Mognoから90分ほどでPeccia(標高840m)。ここは大昔からSoapstone(石鹸石)がとれ、1946年からは大理石(Marmo)の採掘が本格化(17世紀から知られていた)した所です。
しかもLavizzare谷の村の中では冬でも陽光に恵まれている土地。西に延びる谷に点在する集落を含めて1500年には1000人近い人口を数えた町でした。
目につくのがちょっとした空間そこかしこにある作品!夜中に歩いてて出会ったらちょっと怖いのも含めて、本当にあちこちの軒先にあります。4~10月にかけてプロアマを問わず彫刻を体験・研修できる施設Scuola di Scultureがあり(地図だと町中心のすぐ西にある大きな建物)、大理石と彫刻の町をうたっています。
もう一つの特筆すべき点:狭い空間に建物が密集しているのは他の集落と同じですが、
古いのは16世紀から始まり、カラフルな色の壁を含めて様々な形式・年式の建物が見られるのは割と珍しい。
左側の家はリノベーションしたけど以前住んでいた住民の紋章が壁に残ってます。
石の壁に木造のバルコニーというのも、この谷の昔の家の特徴。鎧戸(雨戸)の形式も違う。
ここに載せたのはPecciaの中心部の写真のみですが、Pecciaは中心部から西にFiume Pecciaの川と谷が分岐し、集落が続いています。
中心のPeccia,Paeseから乗り換えて終点のPiano di Pecciaまでバスで10分ほど。雪崩により度々交易路が遮断された谷に、1924年にそれまでのmule track(ラバ道)に代わって車が通れる新道ができ、1954年にはトンネルのおかげで大雪でも行き来が確保されましたが人口流出は続き、少なからぬ集落で住民がゼロになりました。最奥の集落San Antonioにある最古1439年に作られた穀物倉庫Torbaは見学可能、Cortignelliにある教会堂はMadonna di Einsiedeln、とスイスのアルプスを越えた北にあるEinsiedelnの大聖堂の名がありGottardo峠を越えてやってきた人々の存在をうかがわせます。Veia、Cortignelliより先にはTicinoの人々の胃袋を支えてきた栗の木も育たない地となりますます。
BignascoからPecciaを経由してFusioまでのバスは2020年10月現在通年運行で平日は一日5便、週末4便、PecciaからPiano di Pecciaまでは一日3便です。バスの時間を確認の上散策することをお勧めします。
Pecciaの歩く地図つき歴史解説サイト
https://www.invallemaggia.ch/it/sentieri/peccia-e-il-marmo
Pecciaの彫刻研修センター
https://www.ticino.ch/en/commons/details/The-Sculpture-School-of-Peccia/45418.html