モンブラン・エクスプレス周辺(3)無線通信の発明者マルコーニ

Salvan(サルヴァン)の教会前の中心通りの名はRue Marconi。Fondation Marconi兼Musee de la Radio(ラジオ博物館)があります(博物館の開館は2025年は7月15日から8月15日のみ)。

Guglielmo Marconi(1874~1937)はボローニャの大変裕福なご家庭出身のイタリア人で、バカンスを過ごしたSalvanで1895年の夏(つまり今から130年前)に最初の無線電信実験に成功し、1909年にはノーベル賞受賞、イタリアのお札にもなっていたことがある物理学者。

Sentier Marconiという散歩コースが設定されていたので歩いてみました。ものすごく短くて1㎞程度。実は見るべき箇所は、最初の実験が行われた岩(2)と滞在していた家(1)の2か所のみですが、ご紹介します。

駅から教会を過ぎ、レストランがかたまってある場所まで歩き、交差点の左側手前の家、この家のそばに茶色の解説板が見えます。1895年の夏の初めにSalvanに来たマルコーニが借りたのがクリーム色の家の3階の左の部屋。ここで無線装置の製作改良に励みました。この頃のお金持ちは数か月を避暑に過ごすのは良くあることでしたが、マルコーニはここで1か月半かけて実験。

この茶色のマルコーニ解説板(仏・独・英語)は教会のそばにもあり、コース上に設置されてます。今回はこの先から反時計回りに歩きます。ちなみにこの看板以外にコースを示す表示は無いですが、舗装路をぐるっと一周だけなので、最初の入り口が分かれば何とかなる、かな。

車がバンバン通る車道ではなく、家と家の間の細い道の方を進みます。

ホントにただの普通の道。

マルコーニがSalvanで最初の屋外無線通信実験に成功したのは僅か21歳の時。彼の実験にはSalvanの地元少年が助手を務めていました。1885年生まれのMaurice GAY-BALMAZ。10歳だったこの少年は遊んでいて草地に設置された妙な装置を見つけ、関心を持ったことからマルコーニの実験を手伝うことになりました。マルコーニがイタリアに帰り、その後世界中を飛び回ったのに対し、Gay-Balmaz氏は地元で90歳の生涯を終えました。

今ここ!「マルコーニが借りてた家」の次に、「Maurice少年」についての解説板。しかしこの近くに少年が住んでたとかそういうわけではなく(現在の駅の近くに住んでたらしい)、説明板が順々に出てきます。

そして何ということのない道をぐるっと回って、

Pierre Bergereと名付けられた巨大な岩。

高さ4~5mの岩。何でここに転がってる(移動してきた)かというと、お馴染みの「氷河による作用」です。階段があって上れます。

反対側にはパネルが3枚、

Salvanー無線電信発祥の地。1895年の夏、Pierre Bergere(羊飼いの岩)と呼ばれる、このBloc erratique(氷河により運ばれてきた岩)の上から、Guglielmo Marconiは無線電信実験に初めて成功、と町の名前が超強調されてます。

通信技術の発展に寄与した遺産認定・・・

てっぺんに上ってみました。すぐ下に教会。次の解説板ポイントは教会の裏です。

西側のずっと奥に、次の町Marecottesがちょこっと見えます。徐々に距離をのばし、1.5㎞離れたSalvanとMarecottesの間での無線電信に成功。Marecottesまでも当時、馬車道が通じていました。

岩から教会めざして坂を下ります。

坂を下り切ってから振り返ったところ。2軒の家の間に坂道が見えます。

更に家々の間を下りて、振り返ったところ。この中央の家、コースの出だし、マルコーニが借りてた家から細道を行った所にすぐ出てくる家です(写真にちょっと写ってる)。この家から左右にコースが分かれて、ここで合流。右に行くと反時計回りに一周。左に行くと岩。このコースで重要なのは例の岩だけなので、岩だけ見るだけで十分とも言えます。

実はコースのポイント、岩の次はTitanic=タイタニックとなってるのですが、岩から教会へ直接下りる道は特に表示されてなく、何となく坂道を下りたらタイタニックを飛ばして元の場所に戻ってしまった。改めて教会の扉の前から「右側にLourdesの何とかはこちら」、と表示があり、鉄柵が開いてたのでそこから入ると、

教会の、通りとは反対側の側壁に記念碑(墓)と茶色の解説板。1912年に沈没したタイタニック号にはSalvan出身者が船内コックとして乗り込んでおり犠牲に。実はタイタニック号は無線通信機器を備えており、SOS信号も発せられましたが惨事に。ここから右側を見ると、

芝生の中に小路、

そして上って行く階段があり、ここを上ると、先ほどの、岩から下りる坂道に出て、左手にPierre Bergereの大岩に行けます。教会や町の中心から大岩への案内表示が全くないのはどうしたことか。というかMarconiがSalvanで実験したことなど、スイス人でもほとんど知らないと思う。私も初めて知った!Marconiはその後1901年には大西洋横断無線通信成功、ラジオの開発など栄光街道をつっぱしります・・・

写真と歩行は2025年7月中旬

マルコーニの実験、「大人の科学」から:

https://otonanokagaku.net/products/others/car/history.html

Copyrighted Image

error: Content is protected !!
テキストのコピーはできません。