VernayazからSalvanまで旧馬車道(Route des diligences)を歩いています。
赤で印したのが鉄道。2回、オレンジ色の徒歩道と交差します。
Vernayazから北方面、ローヌ川流域の眺め。
石積み壁。
2回目の、線路と交差する箇所。くるっと回って高度を稼いだ線路が、トンネルから出てきたところですが、工事してますね。
この日は線路の補修作業で電車は走ってません。スイスでは時々こうして列車がそれなりの長期間、補修工事のために運休します。2025年はフリブールとベルンの間の幹線路線が夏休みの2か月間運休。振替バスが出ますがね。
この先線路は斜面を大回りしていて徒歩道(旧馬車道)とは大きく離れて見えなくなります。
35個のカーブを終え、真っすぐな道へ。
左側に平行して線路。
Salvanに着きました。Route des diligences(馬車道ロード)、Tour des deux rives(2つの岸を巡るコース)、それにVia Cookのハイキング道が通っています。Cookとは、昔々存在したトラベラーズチェックでもお馴染みのトーマス・クックさん。イギリスの旅行家の先駆け、観光のパイオニア。Cookさんが1863年にスイスを巡った足取りの一部がVia Cookとなっています。
Salvanの町。食事処が数軒、それに教会の向かいの建物に公共トイレがあります。
VernayazからSalvanまで1時間半程度で着きます。Route des diligencesはこの先Finhautまで続いています。
さて何故に馬車道が整備されたかと言うと、ずばり、インバウンド対策!19世紀半ばまではロバを連れて歩ける程度の細道しかなかったのが、イギリス人が主導する大旅行ブーム到来。モンブランの麓、シャモニーまで馬車の通れる道の整備が政府主導で行われます。VernayazからSalvanの区間は1855~1867年にかけてつくられ、この先の谷沿いの村々に何と60軒のホテルが次々と建てられました。それまで細々と農業やってた村人がホテル経営や管理人、御者、クリーニング店、ガイド、商店を営み始め、ヨーロッパ中の貴族が来訪。馬車道はその後の1908年、鉄道の開通で廃れるわけですが、鉄道により観光業の発展は加速。第一次世界大戦で失墜するまで続きます。
歩行と写真は2024年11月上旬
Route des diligencesについて:
https://www.valleedutrient.ch/en/route-des-diligences-viacook-fp262
https://www.valais.ch/en/explore/activities/hiking/hikes/route-des-diligences