スイス人の義父は97歳でで亡くなった。築250年のバリアフリーとは真逆の階段だらけの家で、義母が老人ホームに移ってからの数か月間を一人で暮らし(義妹が週二回訪れては買い物等をしていた)ていたが、不安定な踏み台から落ちてから急に体調を崩し、子供三人が交替で同居し面倒を見て3週間、ようやく空きの出た老人ホームに移り10日で息を引き取った。
老人ホームは自宅から数軒先。嫌がりながらも杖をついて自分で歩いて移動した先のホームではほとんど食事を摂らずに静かにあの世に旅立った。他人の世話になったのはわずか10日間!
これから書く状況は本当に個人の例で、スイス全般のことを言っている訳では全くない。スイスでは日本に比べるとずっと他人からどう思われているかを気にしないけど、葬式に関しても、それぞれのやり方でOKというのを身に染みて知った。
義父がどうやら長くはないと知った嫁の私は、最後に一度会いに行くべきだろう、でもドイツ語は不得手だし義父はスイスドイツ語オンリーだから、毎日付き添っている義妹に連絡を取った。そうしたら、このひと月でものすごく顔が変わってしまったので、会わない方がいいかも、と言われた。どうしても会いたいなら、との含みもあったが、片道5時間はかかるし、それならば、と遠慮したら翌日に亡くなった。
看取ったのは義妹とそのパートナーだけで、父死すとの知らせを受けても他の2人の兄弟も、近くの別の老人ホームに住む60年以上連れ添っていた妻も死に顔を拝みには行かなかった。生前は頻繁に連絡を取っていたし繋がりは普通に強い家族だったと思うよ。それでも死に際にも死の後も会いには行っていない。元気だったころのイメージを大事にしたかったのだろうか。
肉親ではなくても、死期が迫っているから会いに来て、と連絡が来て会いに行く話はよく聞く。亡くなった後に、会いに行った人からその時の模様を聞くこともよくある。
後日「新聞に訃報を掲載する」の記事で書く予定だが、新聞の死亡欄に「亡骸は何処何処に○○日の何時から何時まで安置されています」と面会したい人が会えるように場所と日時を指定していることもある。人それぞれ、どんな姿であろうと生前に交流のあった人に会っておきたいと思う人もあるだろうし、綺麗な姿だけ憶えておいてと願う人もいる。義父の場合は97歳という高齢だったため、身内以外の知り合いが大方亡くなっているという理由もある。あと、後々述べるけど、いち早く弔問に訪れたいと思っても亡骸が自宅に戻ることは滅多にない(?)という日本とは異なる事情もあるかな。
日本でも同様だが、老人ホームや病院で亡くなって便利なのは、施設の人が次なすべきことを教えてくれることだろう。派遣された医師の検視があり、病院の霊安室ならぬホーム内の涼しい部屋に移され、市役所に通知すると市役所手配で火葬場に運ばれた。この火葬場等の手配、葬儀社経由になる州もあるらしいが、義父の住む州では市が手配してくれて、その後の埋葬に至るまで葬儀社を全く利用せずに済んだ(当然費用はとっても安くなる)。火葬場の車が迎えに来て運ばれて火葬される過程、希望すれば同席することも出来るが義父には誰も付き添っていない。別に冷たい人々という訳ではなく、 義妹は両親の世話を天命のように感じてた節の気ある人だけど、 最期を看取った後は、遺灰を自宅に受け取るだけで火葬には関わっていない。考えようによっては大事な人が焼かれるというのは相当ににハードなことで、そんな過程とは遠ざかっていたいと思うのも分かる。
日本のお葬式での火葬場での一連の儀式、数日前まで存命だった人の出来立てほやほやの骨格を見せられ、これが喉ぼとけの骨ですよ、と説明されるのってシュールだわ。そもそも骨が人の形に並んでいるのも当たり前のようで実は火葬場の人の並々ならぬ技術と努力の結晶らしいし。
スイスでは遺骨ではなく遺灰。何日かして壺に入って届くらしい。見たことないけど遺灰はサラサラの砂状態で、日本では遺族や関係者が骨を拾って骨壺に収めるんだよ~ と言ったらびっくりしていた。